...27
いっそ何も感じなくなればいいのに。
自分の部屋に戻ってからも尚止まらない涙を拭いながらそう思った。
・・・っていうか、私はここに何しに来たのよ。少なくとも恋をしに来たんじゃない。
私一人の気持ちなんかどうだっていいんだ。そんなもの比にはならない数の人の命を取り戻しに来たんだから。
・・・そうだよ。こんなところで落ち込んでる場合じゃないでしょ、自分!!
「あー、もうっ!」
ぱんっ、と勢い良く自分の頬を叩いて気合を入れなおす。そうだ、今の私にはうじうじしている暇はない。
今自分が考えなければいけないのはこの世界をどうすれば救えるか、ただそれだけ。
それから・・・・・暁との結婚の事も真剣に考えなきゃいけない。って言うか考えるまでもないかもしれない。だって彼に印を刻んでもらわないと私は他の国の王様から狙われる可能性があるわけで。
やっとこの地に慣れてきたのにまた別のところに攫われていくのは真っ平だ。
まさか自分がどこか見知らぬ世界の王妃になるなんて思っても見なかったけど――。
「預言者ってどんな人なんだろ・・・」
ベッドに横たわって私は小さく呟いた。
怖い人だったら嫌だな。まぁでも、ここまで来て怯む気もないけど。
しばらくの間ゴロゴロと明日の事を想像していたけれど、だんだん考えるのが面倒になってきて結局そのうち眠ってしまった。
*
「萌華、朝よ。起きて」
軽く体を揺すぶられ、私はうっすらと目を開ける。
「・・・風紫・・・」
魏惟さんが生き返ってから彼女にべったりだった風紫が私の元にやってくるのは久しぶりの事だった。少しだけやつれたように見えるその顔を呆然と見上げて呟くと、「もうみんな支度は出来ているわよ」と急かされる。
「え、あ、ごめんっ・・・」
もしかしてこんな日に寝坊したんだろうか。そう思って私は慌ててベッドから飛び起きる。
――ついにこの日がやってきてしまった。これから私は預言者の地へ向かうんだ。
「今日はこれを着て」
顔を洗って心を落ち着けていると、風紫がそう言っていつもとは少し違った服を持って来てくれた。
見た感じは、日本で言う着物のようなもの。丈はあそこまで長くなく、膝下でスカートのようにひらひらと揺れる。これがこの地での正装なのかもしれない。真紅の生地が赤龍らしい。
着方が分からない私を鏡の前に立たせて、風紫が着付けをしてくれた。そして腰帯を締めているとき、彼女はポツリと呟いた。
「ごめんなさい・・・・萌華」
「――・・・え?」
突然のその言葉に思わず振り向きそうになったけれど、着付けの途中だったからそれもはばかれ。
だけど湿ったその声からは、確かに風紫が泣いている事が伝わってくる。
「卑怯な奴でごめんね・・・・萌華」
「・・・なんで?」
思わず、私は風紫に聞き返す。
「いつ風紫が卑怯な事したの?あなたは大事な人を守りたかった。ただそれだけでしょ?それが卑怯になるなら、私の方がよっぽど・・・・」
よっぽど、卑怯で醜くて汚い。
自分の居場所を守るために、暁を利用しようとしている私は――。
「違うの」
ぐいっと腰帯を締め上げ、風紫は私の言葉を遮った。
「私は貴方の気持ちにも気づいてて、わざと魏惟の話を持ち出した。お兄様にこれ以上近づいてほしくなくて、貴方が入ってこれない世界の話を――・・・っ、だって魏惟が望んだほんのささやかな恋なのよ。お兄様は気付いてなかったようだけれど、二人の想いはもうすでに重なっていたの。だけどあんな奇病によってその想いが断ち切られてしまうなんてあまりにも可愛そうで・・・私はあの子の想いをどうしても守りたかったのっ・・・!」
風紫の言葉に、全身が凍りついた。
やっぱりこの子は・・・私よりも早く、私の気持ちに気付いてたんだ。
「・・・心配しないで。私は魏惟さんから焔を奪うつもりもないし、焔の心だって私に向くはずがない」
深呼吸をしてから、私はきっぱりと言った。
「両思いだったんだね。それじゃあ私なんかが入り込む余地ないでしょ。あんなに可愛い魏惟さんに勝てるはずないしねー」
「萌華・・・」
「だから心配しないで。私はここに恋をしにきたんじゃない。この地を救うために連れてこられたんだから」
言葉にしてしまうと、心の中で思っている以上に胸が痛んで。そしてそれがまるで自分の言葉ではないように聞こえて。
私は本当に、これで正しいの・・・?
「・・・優しい子。魏惟と同じくらい・・・」
静かにそう言うと、風紫はゆっくりと立ち上がった。けれど、
「だけどお願い。そんな風に、苦しそうに笑ったりしないで・・・」
今にも零れ落ちそうな涙を目に浮かべた彼女は、私の頬に手を添えて顔を鏡の方に向かせる。
そこに映っていた私の表情は、今まで見た事もないもの。泣き出しそうな、それでいて口角だけが上がってる。なんて、無様なんだろう。
「何・・・これ・・・」
まさか私は、今までこんな醜い顔を焔や暁の前で晒してたんだろうか。こんな顔何でもないように振舞ったって意味ないじゃない。
あぁもう、馬鹿みたい。私は今まで一体何を――・・・。
「もう・・・・・やだ・・・・・・・」
心の奥底の本音を吐き出した瞬間泣き崩れた私を、風紫の震える腕が抱きとめてくれた。
*
「それじゃあ行って来ます」
赤い目が元通りになった頃、ようやく私は人前に出られる顔になった。
私たちを見送るために輝舟を始めとする街の人たちも城に集まってくれていた。
「気をつけて行って来てくれよ、萌華」
「うん。ありがと」
輝舟が大きな手で肩を叩いてくれて、私も笑ってそれに答える。
「城は心配するな。なんたって焔がいるんだから」
「うん」
友を自分の事のように誇る彼に静かにうなずき、視線を焔に移す。
「萌姫」
私の視線に気づいた焔は私の事をそう呼んで、一歩前に進み出る。
「ご無事でお帰りになるのを、皆でお待ちしております」
「ありがとう」
本当は、出発する時ぐらい笑顔でお別れしたかったけど。
だけど自分のあんな顔を見てしまった後では上手く笑えるはずもなく、私は表情を作る事もせずにそう言って右手を差し出した。
「焔も魏惟さんの守、しっかりね」
「はい」
握手を求めて差し出した手。自分のそれに焔のものが触れた瞬間、また泣きそうになった。
・・・温かい。これが彼の体温。生きている証。
この温もりを、知らない間にどうしても自分のものにしたくなっていた。
その笑顔も優しさも、時折見せる悲しそうな表情さえも。
本当は誰にも渡したくなかった。私だけの守でいてほしかった。
好きになってしまったから。ただ焔にも私を好きになってほしかった――それだけだった。
だけど、もう。
「バイバイ」
手を、振った。それは紛れもない、お別れの合図。
涙がこぼれる前に彼から顔を背けて、暁の元に駆け寄った。
「もういいのか?」
「うん。別に一生のお別れってわけじゃないし」
それもそうだな、と呟いた暁よりも早く、私は歩き出した。
これからはしっかりと前を見て、この地で生きて行かなきゃ。
もうその術は迷わない。私は、ここに連れてこられた時から失うものなんて持ってなかったんだから。
これ以上堕ちるはず、ない。
「それじゃあ皆、城を頼むぞ」
暁がお城の人たちにそう告げ、龍の姿に変化する。美しいその姿に見惚れる間もなく私は彼の背に乗り込んだ。
大きな翼が風を起し、その巨体を宙に浮かせた。
心臓がドクンと脈打つ。
さぁ、いよいよ
出陣だ。