あぁ――
手が届きそうなほど 空が低い。


Dream



どんよりとした厚い雲が空に広がっていた。
一人の少女はそれを眺め、微かにその口元に笑みを浮かべる。
彼女は何十階とある高い建物の屋上に立っていた。
「・・・届きそう」
「そうですね」
空に手をかざしていった少女だったが、その声にハッとして振り返る。
「驚かせてしまったならすいません。でもそんなところで何してるんですか?」
少女の背後にはいつの間にか一人の少年の姿があった。彼はやんわりと笑いながら言って、少女の隣まで歩いてくる。
「何処のどなたか知らないけどこんにちは。立ち聞きって良くないわよ?」
怒るでもなく、かと言って好意的とも言えず。無表情で少女はそう言った。
「すいません」
もう1度少年が謝る。
しばし、そこに沈黙が流れる。
「今日はどうしてこんなに空が低いのかしら・・・」
もう1度空を見上げて、先に口を開いたのは少女のほうだった。
「曇ってるからじゃないですか?」
「そうかしら。何だか本当に手が届きそうで・・・」
少年の答えには気の無い返事をして、少女はもう1度手をかざす。
「・・・死にたいって、思ったこと無い?」
と、不意に少女がそう言った。声が心なしか小さく聞こえる。
「無いですね」
少年はキッパリ言って「どうして?」と尋ねる。
少女は1つ溜息をつき、肩をすくめて答えた。
「生きている意味が分からないからよ」
その答えに少年は興味深げに笑んだ。
「生きている意味、ですか。難しい事を仰る」
「確かに難しいけど。貴方は自分が生きている意味って分かる?・・・私は分からない。どうして生まれてきたのか、何で今ここでこうして存在してるのか」
言いながら少女は、僅かに渋面を浮かべる。
「あのね、学校の先生や道徳的に優れた人は決まって私にこう言うの。”人は生まれてくるのには意味がある”って。でも私思うのよ。それじゃぁ何で生まれてすぐ死んでしまう子が居たり、殺人があったりするの?無関係な人がどんどん死んでいくのに。その人たちはそんな最期を遂げるために生まれてきたの?」
「さぁ・・・。僕は神様じゃないから分かりませんね」
少年が言うと、少女は面白くなさそうに眉をひそめる。
「別に貴方に答えてもらおう何て期待してないわ。でもじゃぁ・・・ちょっと視点を変えて話すわよ?貴方はどうして恐竜が絶滅してしまったんだと思う?」
「それも僕には分かりません。科学的な方向で見るのか、それとも”運命”という言葉が用いられるのか。考え方は人それぞれでしょうね」
少女は今度は満足そうに頷いた。
「貴方、私と似てるかもしれない。私はね、恐竜が絶滅したのはこういうことだと思うの」
そう言って、彼女は空を仰いだ。
「この星はその動物を必要としていなかったのよ」
すると少年は、面白そうに笑った。
「・・・なるほど。貴方の想像力はすばらしい」
「ありがとう」
そこで初めて、少女は少年に笑みを向ける。
「大昔たまたま存在していたのが恐竜で、それらは絶滅してしまった。私はいつか人間も同じことになると思うの。だって人間なんて存在してても地球には何の利益も無いでしょ?むしろ有害よ。自然破壊やらなにやら好き放題やって。そのくせ”私たちの地球を守ろう”なんて言っちゃって。馬鹿じゃないの?」
少女が言うと、少年は苦笑した。
「素晴らしい意見ですね」
「貴方もそう思わない?私たちはいつか滅びるのよ。永遠なんてなくて、必然も無い。人が存在することに意味があるって言うのは、そう言っておかないと自分の存在があやふやで怖いから」
少女は言って、さも面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「素直に認めればいいのに。この世には意味の無いものだってあるってこと」
少年は静かに微笑む。
「まぁ、意味があるのかないのか決めるのはその人次第ですけどね」
少女は少年を横目で見て、ハァ、と溜息をついた。
「私、疲れちゃった。生きてるといろんな事を考えちゃうの。いろんな疑問が出てくるの。なのにどうしてみんな毎日何でもないように過ごせるのかしら」
少年は少女の言葉には何も答えず、軽く微笑んで空を見上げる。
「本当に空に届きそうですね」
「でしょ」
そうして、また暫しの沈黙が下りる。
少ししてから、
「さてと・・・・」
今度先に口を開いたのは、少年だった。
「僕はこれで失礼します」
彼はそう言って少女に軽く会釈する。
「あら、もう?私の話に付き合ってくれてありがとう」
「いいえ、どういたしまして」
少年は言って、少女に背を向けた。けれど数歩歩いてから立ち止まると、
「そうだ――お嬢さん、僕が1つ貴方の生きている理由を教えてあげましょう」
そう言うと、不思議そうな顔の少女ににこりと微笑んで。
「”知るため”ですよ。貴方は世界の全てを知るために生きてるんだ」
それだけ言うと、後は何も言わずにまた少女に背を向けて歩き出した。
少年の去っていく背中を見つめながら、少女は「なるほど」と呟く。
「知るため・・・ね。素敵な理由だわ」
そうして彼女はもう1度大きく空を仰いだ。
手の届きそうな空は、いつまでもそこにあった。



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