第9話 奥底から蘇るモノ 3
 記憶が戻って本当に良かったと思うのが授業中。今まで勉強してきたことを事故のショックですっぽりと忘れていた私は自分が問題を解ける事にある種の感動を覚えていた。
「ねぇユメ、勉強って楽しいよね!!」
「え、なっチャン別のところがおかしくなっちゃった?」
 昼休み、キラキラと目を輝かせながらその感動をユメに伝えると本気で心配そうな顔をされてちょっと悲しくなった。
「うそうそうそ!嘘だからなっチャン、泣きそうな顔にならないで!」
 慌ててユメがそう言ったのでそれに付け込んで「じゃぁその唐揚ちょうだい」と、お弁当のおかずをねだってみると「ダメ」と一蹴される。
 くそ。そういえばユメって食べ物に関しては昔から手ごわいんだった。
 親友の昔の事を懐かしく思い出していると、不意に両親の記憶も浮かび上がってきた。
「ねぇ、ユメ」
 そして無性に、誰かに話したくなった。
「私の両親が亡くなったのってさ、確か私が小学校に上がってすぐの事だったの」
 大好きだった優しい両親。私は性格は母、顔立ちは父譲りだった。
「冬だったんだ。雪が降ってて、私はその時近所の疾風のうちに遊びに行ってたらしいんだけど。でも二人で出かけたお父さんとお母さんはその雪で車スリップしちゃって・・・」
「うん、もういいよなっチャン。話してくれてありがとう」
 そこまで言って言葉を濁した私にユメは優しく言ってくれた。零れそうになる涙をぐっと拭う。
 ユメと出会ったのは私が親戚に引き取られてからの事。転校してきた彼女と友達になっていつも一緒にいるようになったけれど、その当時幼い私はまだこんなシビアな事を詳しく人には話せなくて。
 けれど今になってやっと、ユメに対しての隠し事がなくなったような気がして胸がスッと軽くなった。
「今度の休みに、お墓参り行って来ようかな」
 お母さんが好きだったガーベラの花束を持って。
 そう言うとユメは「そうしな」と言って優しく私の頭を撫でてくれた。
「・・・あーなんかすっきりした!聞いてくれてありがと、ユメ!」
「何言ってんのー。幼馴染兼親友でしょ。当然」
 あぁ、なんていい友達を持ったんだろう私。にっこりと笑ったユメを見てそう感動していると、クラスメートに後ろからぽんぽんと肩を叩かれて。
「ねえなっチャン、お客さん来てるよ。1年生の」
「へ?」
 そう言われて示された教室の入り口を見てみると、そこには目が腫れている風月ちゃんの姿。
「・・・あっ」
 私と目が合うと、彼女は一瞬顔を歪めて頭を下げる。
 ・・・なんか、物凄く重たい空気を引き連れてきた感じ?
「ごめんユメ、ちょっと行ってくる」
 心の中でため息をついてから、私はユメにそう告げて席を立った。
 そして風月ちゃんの元まで行くと、出来るだけ彼女を安心させられるよう笑顔で、
「やっ――」
「ごめんなさい先輩!!」
 ・・・ほぅ!?
 軽いノリで挨拶をしようとした私を勢い良く遮って、風月ちゃんはいきなり頭を下げた。
「ちょ、え!?」
 教室中の視線が私たちに集まる。
 ちょっと待って!これじゃあ私が悪い人みたいじゃない!?
「あの、場所を変えて話さない!?」
「いいえ、先輩がそんなに気を使ってくださる必要はないんです!悪いのは全部私なんです!本当に本当にごめんなさいっ!!」
 いやだからそう言う問題じゃないんだよー!
 心の中でそう絶叫して今にも泣き出しそうな風月ちゃんにあたふたする私。明らかに私が泣かせてるみたいだ。
 あーうー・・・。
「あの時・・・私自分の事ばかりで周りが見えてなかったんです」
 もうどうにでもなれ、と思っていると風月ちゃんは声を震わせてそう話し始めた。
「サッカー部のマネージャーになる前から私ずっと海道先輩のこと見てました。最初は憧れ程度だったんですけど、いざマネージャーになって近づいてみるともう引き返せないぐらい好きになっちゃって・・・だけど本当は、海道先輩が好きなのは麻生先輩だってことも気付いてたんです。
あの時先輩に協力してくれるようお願いしたのは先輩の気持ちも海道先輩に向いてるかどうか確かめるためでもあったんです。本当に卑怯でごめんなさい!!
・・・だけど私、今回の件でもうケリをつけることに決めました。どう頑張ってもやっぱり海道先輩が好きだったのは麻生先輩で、それなのに私は何も悪くない麻生先輩を傷つけるような事をして――・・・」
 そう言って風月ちゃんはぐっと唇をかんだ。その姿が物凄く痛々しくて見ていられなくて、思わず私は彼女の頭に手を置いた。
「諦めちゃうの?」
「・・・え?」
 目に涙を浮かべた風月ちゃんを出来るだけ優しく撫でながらそう問いかけると、彼女は不思議そうに私を見上げる。
「何で?だって本当はまだ好きなんでしょ?」
「で、でも私は先輩を・・・」
「あれは事故でしょ。それに私、あの衝撃のおかげで記憶取り戻せたし」
 この部分は周りに聞こえないように小さく風月ちゃんの耳元で耳打ちする。
「あ、あと私前にも言ったけど彼氏いるから。同棲してるし」
「えぇ!?」
 初めて風月ちゃんに会った時は話を誤魔化すために疾風の事を「彼氏」と言ったけれど。今回はなんだか素直にそう言えて私は驚く風月ちゃんに笑いかけた。
「そう言うわけだから、この先も多分私の気持ちが洋介に向く事はないと思う。だから風月ちゃんは気兼ねなくあいつにアタックし続けてね!」
「え・・・あの・・・・」
 私の同棲発言に相当驚いているらしい風月ちゃんは目を瞬いて口ごもったけれど、最後には泣き出しそうな笑顔で「ありがとうございます!!」とまた頭を下げた。
 ・・・あぁ、この子ともっと別の出会い方をしてたら良かったのに・・・。
 今さらながらそんな事を思いながらも、事件が一件落着したことに私は満足していた。
 ――あとはきっと、疾風の記憶が戻ってくれさえすれば・・・。
 記憶喪失当初から比べると、私は確実に一歩ずつ前に進んできたと思う。けれどそれさえ覆い隠してしまうほどのわだかまりを胸に、私はまだ何も為す術がなく途方にくれていた。

 そうして記憶が戻ってから早1週間。
 記憶を失っていたのが嘘のように、当たり前の日常が私に戻ってきた。だけどやっぱり、疾風の事はすっぽり頭から抜け落ちたまま。いつまで経ってもそれは何も思い出せない。
「ねぇ銀ちゃん、もしかして私記憶を失う前に疾風と何かあったのかなぁ!?」
 それは普段と何ら変わりない穏やかな土曜日の午後。私の記憶が戻ったことを知って、銀ちゃんがうちに遊びに来てくれた。二人で他愛ない話を楽しみながら、ふと疑問に思った私はそう尋ねてみる。
「うーん・・・」
「え、何!?何か知ってるの!?」
 苦い顔で首をかしげた銀ちゃんに、私は即座に飛びつく。そうすると、彼は困ったように笑った。
「・・・・いや、別に何もないと思うよ?俺はほら・・・近くに住んでないから、良く状況も知らないし・・・」
「・・・・何か隠してるでしょ」
 急に明らかによそよそしくなった銀ちゃんをじっとりと恨めしげな目で見つめてそう言うと、曖昧な笑みを向けられる。
「・・・・まぁ、なっチャンははや兄に十分愛されてるから心配ないって!」
「答えになってないよ?」
 あははー、ととぼけたように笑う銀ちゃんに溜息を1つ零す。
 ダメだ・・・・・これ以上聞いても教えてくれはしないだろうな。
「って言うか、私別に愛されては・・・・」
「はぁ?何言ってんだよなっチャン!はや兄がなっチャン絡みの事で今まで何人の純粋な少年達を泣かせてきたと思ってるんだよ!」
「はぇ!?」
 唐突な銀ちゃんの言葉で、頬杖をついていた手の力が抜けてガクリと情けなく体制を崩す。
 いやいやいや。言葉の意味がよく分からないよ!?
「な、泣かせてきたって・・・・」
「覚えてない?幼稚園の時になっチャンと仲の良かった峻クンとかバレンタインチョコをあげたみのるクンとか小学1年の時に席が隣だった貴人クンとか・・・・その他もろもろ」
「そんなに!?」
 何なんだいつの間に裏でそんな魔の手が伸びてたんだ!はっ、そう言えば私が1度も男の子から告白とかされた記憶がないのは疾風の妨害のせい!?
「あんの野郎・・・・・」
「な、なっチャン、とりあえずその拳は俺に向けないでね?」
 無意識のうちに固く拳を握り締めていると、銀ちゃんがマロンを守るようにその腕に抱いて焦った笑みを浮かべていた。
「・・・・・・うん」
「怖っ!逆にその穏やかな笑みが怖いから!」
「あーもう、あぁ言えばこう言う・・・・銀ちゃんも騒がしいなぁ」
 そう言いながら、少しだけからかってみようと思って指の関節を鳴らす。ゴキゴキっと見事に不気味な音が鳴り、マロンまでもが警戒したように私を見る。
 大丈夫。可愛い可愛いお前には危害なんて加えないからね!
 と、マロンにそう愛コンタクト・・・・・いやいや、アイコンタクトを送った後でじわじわと銀ちゃんに近づいていく。そうすると、私との距離が縮まるにつれだんだん銀ちゃんの表情が引きつってきて。
「ま、待って!俺は何も・・・・って、え、ちょ、本当・・・・ぎゃぁー!!」
 銀ちゃんの断末魔の叫び声が上がり、その後見事にそれはゲラゲラと言う笑い声に変わる。
 それもそのはず。まさか私が本気で銀ちゃんにパンチをお見舞いするわけもなく、ただちょっとからかってみようと思って近づいていって、そのまま彼のお腹をくすぐる攻撃。
 そう言えば銀ちゃんは昔からお腹弱かったっけ。と、ナイスなタイミングで思い出して、床でのたうちまわる彼に覆いかぶさる格好で容赦なくいじめる。
「お前ら・・・・・何してんの?」
「「へ?」」
 と、突如そこに別の声が割って入った。今まで夢中になっていた私も銀ちゃんもそれに驚いて、同時に動きを止めてその声のほうを見ると。
「銀・・・・・・・なんだぁ、その体制は?」
 丁度リビングの入り口に、疾風が仁王立ちでそりゃあもうどす黒いオーラをまとって笑っていて。
「お、おかえりなさい・・・・?」
 100%勘違いされるような怪しい体制の私と銀ちゃんは二人で顔を見合わせてから、とりあえず笑ってごまかしてみる。
 が、効果なんてこの疾風サマにあるはずもなくて。こいつもまた私と同じように指をコキコキ言わせながら私達のほうに近づいてくると、
「え、ちょ、はや兄待って!俺どう見ても今受身の体制なんだけ――・・・・ぎぃやぁー!!!」
 今度は本当に、正真正銘の銀ちゃんの断末魔の叫び声が上がった。

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