私が今までしてきたことは
全て間違いだったんでしょうか――・・・・・?


Mind...



ぼぉ、っと1人の少女は空を眺めていた。
いや、眺めていたと言うより「映していた」といった方が正しい。
ただ空ろなだけの、硝子球のような目に。
無気力。
虚無。
――皆無。
それらの言葉が1番良く当てはまるはずなのに、実際に感じるこの気持ちはその言葉のどれよりも重い。
「どうして・・・・」
糸のような細い声が少女の口から漏れた。
「ちょっとそこのお嬢さん」
その時、不意に声がかかった。
少女は空を映していた目をゆっくりと、声のした方にむける。
「こんにちは。何してるんですか?」
首をひねって振り返ったそこに立っていたのは14,5歳の男の子だった。
「・・・空を見てるの。」
少女は気の無い返事をする。
「へぇ。そりゃぁまた何で?」
「何となく。」
男の子は何故か楽しそうに笑い質問を続けた。対して少女は、やはり素っ気無い返事を返すだけ。
何となくねぇ、と呟いてから少年は空を見上げた。
「綺麗ですね、青空。」
「そうかしら」
少女もまた、空に視点を戻して呟いた。
「こんなもの・・・・今になってみれば何の価値も無いわ」
「どうして?」
心なしか強くなったように感じられる口調の少女を楽しげに見て少年は問う。
すると少女はふっと微かな笑みを浮かべ、言った。
「私ね・・・・もうすぐ殺されるの。」
「そりゃぁ怖い。」
ありえない告白を茶化すように受け止め、少年は身震いする真似をした。
けれど少女の方は気にする様子も無く続ける。
「もうこの地は長い間不作が続いてるの。だから、豊作を願って神に1人の生贄を差し出そうって事になった。そして選ばれたのが私。」
ほぉ、と頷いてから少年は辺りを見回す。
「そう言えば殺風景なところですね、この町。」
「えぇ。――何も。何も無いわ。」
少女は答えてから、俯く。
ぐるっと周りを見終えた少年は再び俯く少女に問い掛ける。
「それで、儀式の日はいつなんですか?」
「・・・明日」
今にも切れてしまいそうな糸のような声で、少女は微かな返答をする。
「明日の朝・・・私は殺されるの。」
俯いた少女の表情は窺い知れないが、その声は確かに震えていた。
「残念だな。せっかく会えたのに」
ふぅ、と息を吐いて少年は言った。
それからまた笑顔で言う。
「でもまぁ、頑張ってください。それでこの町が豊作になったら貴方は英雄ですよ。」
少女は何も答えない。ただジッと俯いていた。
少年の方も少女の返答にはまるで気にしていない様子で、彼女に背を向けて歩き出した。
青い空の下、残されたのは独りの少女だけ。


――「起きて。そろそろ儀式の準備の時間よ」
明け方、遠慮がちに体をゆすられて少女は目を覚ました。
こくりと頷き少女は体を起こした。けれどそれは、まるでなまりで出来ているかのように重たい。
これが本当に自分の体なのかと疑いたくなるほどだった。
「貴方はみんなのために死ぬのよ。本当にいい子・・・・」
起き上がった少女を母親は優しく抱き寄せた。
少女はただ無表情でされるがままになっている。
感情が抜け落ちたようで、今から殺されると言うのに恐怖も悲しみも感じない。
「向こうの部屋でお父さんも待っているわ。最後に挨拶してらっしゃい」
再びこくりと頷き、のろのろと父のいる部屋に向かう少女。
「最後の」と言う言葉が妙に強調されたように感じた。

* * * *


生贄の儀式は泥を大量に体に塗るらしく、土臭い臭いに耐えて少女は体中にそれを塗りこんだ。
「向こうの世界にこの泥を持っていって、神様にもっと作物の実る土を恵んでもらうのよ」
泥を塗る手伝いをしていた一人の女がそう説明した。少女は何も言わずにただ空を見上げていた。
泥を塗り、不思議な臭いのする香を焚かれてから少女はうすでの白い服を着せられて儀式の場所に向かう。
徒歩10分ほどで着く、町の中央の何も無い不毛の地だった。
ただ愕然と「死ぬ」ことしか考えていなかった少女だが、そこに向かう途中で少しずつ足がこわばり始めるのを感じた。
手先までが微かに震え始める。
今になって思い浮かんで来る友達や親の顔。良く可愛がってもらった近所のおじさん。
その全てが、もうじき消える。
――・・・・怖い。
「あ、ちょっと!!!」
気づいたときにはもう駆け出していた。許されないと分かっていても。逃げる場所などないと知りながらも。
それでもこの終わり方は、少女にはあまりにも不似合いだった。
「どうして・・・・私が・・・・」
走りながら少女はその言葉を吐き出す。何度目かになるか分からないほど呟いたその言葉。
自分が今まで何をしてきたというのだろう。どうして自分がこんなことに――・・・・
「あ、昨日のお嬢さん」
不意に声をかけられ、ぴたっと足が止まった。少女はゆっくり振り返る。
「どうしたんですか?そんなに慌てて。儀式、もうすぐ始まるんでしょ?」
そこに居たのは、ただ不思議そうに首をかしげる昨日の少年。
「・・・行かない」
「え?」
少女の返答に何の哀れみもなく疑問符を浮かべる少年。
この少年はどうして昨日「頑張ってください」などと惨い事を言ったのだろう。どうしてこうなると分かっていながら「残念だ」なんて言ったのだろう。
全て・・・全てが狂っている。
「行かない。私・・・・生贄になんてなりたくないっ。死にたくなんか無い・・・・!!」
「それでも貴方は選ばれたんでしょう?」
死の恐怖を吐き出すかのようにそう叫んだ少女だったが、こともなげにそう言われ呆然と目を見開く。
「どうして・・・・そんな事言うの・・・?」
わけがわからない。哀れんでくれてもいいはずだ。それなのにこの少年は、それが自分の使命だとでも言うような口調で言ってのける。
「どうして私が生贄なの・・・・?」
少女の空ろな目が映しているのは、何の悪意も無くこちらを見つめる少年。
「そんな事、分かりませんよ」
少年は少女の問いに淡々と答える。
「どうして・・・?私、今までずっと両親に言われてきた。人が喜ぶ事をしたり、人のために何かしたり。曲がった事は絶対するな。嫌なことでも引き受けてやれば、きっとそれが報われる日が来るって。なのに・・・・」
こんなラストを望んだわけじゃなかったのに――。
「要は貴方は、自分の為に何かをしてきたって事ですね?」
「えっ・・・・?」
今まで考えた事も無かった言葉に少女は更に目を見開く。
そして、今にもなきそうな声で言った。
「違う・・・私は、自分の為なんかじゃなくてっ・・・・!!」
「結果的に同じでしょう。それか、”人のために何かする”という間違った善人面で貴方は自分を守ってきた。いずれにしてもあまり見習いたくないですね。」
「なっ・・・・・・!!!」
虚を付かれたようだった。絶望だけが少女の目に映る。
「善人面なんかじゃないわ・・・・!いつも全部私に押し付けて、それで楽してきたのは向こうの方よ!?なのに何で私が死ななきゃいけないの!?」
でも、と少年は口をはさむ。
「そんなに死にたくないんだったら、生贄に選ばれたときに何が何でも断ればよかったじゃないですか。」
キッと、少女は鋭く少年を睨みつける。
「無理に決まってるじゃない!だってこの町の人みんなが・・・・親でさえ”お願い”って頭下げてくるのよ!?みんなが私に期待して・・・・だから・・・!!」
「ホラ、それ。」
「え?」
「貴方のそう言うところが善人ぶってるって言うんですよ」
「・・・・っっ!!」
再び虚をつかれ、少女の目からは涙が零れ落ちる。
「そこまでしてでも、貴方は”善人”の自分を守りたかったんじゃないですか?」
少女の目からは止め処なく涙が溢れ、全身に塗りたくった泥の上に落ちた。
「・・・違う・・・・」
「まぁ、ここまで来ればあとはそれを貫き通すしかないでしょう。」
「嫌・・・!」
悲痛な声を上げる少女を気にするでもなく
「ほら、早くしないと本当に儀式に遅れますよ?」
と言って少年は少女の手をとった。
少女はただ泣きながらされるがままに引っ張られて歩いた。

* * * *


生贄が逃げたと言う事で、その場に集まった人たちは一時騒然とした。けれど少女が見知らぬ少年と戻ってくると安堵の溜息が辺りから一斉に漏れた。
そして当の少女は、背丈より少し高い樹の棒に体をくくりつけられた。
――これから儀式が始まる。
町のもの全員の、期待に満ちた視線が注がれる。
――やめて。そんな目で見ないで。
叫びたい言葉をぐっと飲み込み、少女は俯いた。
その間に一人の男が長々と儀式の言葉を詠み上げ、そうして神の捧げものとして少女の両脇には1匹の豚と数少ない果物や野菜が置かれた。
最後にその男は1つの松明を手に少女の前に立つ。
「神によろしくお願いします。」
明らかに少女の二回りは年上の男が、まるで目上の者に対するような言葉づかいで少女に言った。
再び空ろに戻った目でその男を見て、少女は視線を逸らした。
一瞬間があり、何か熱いものが足に触れた。それが火だと気づくのに時間はかからなかった。
味わった事も無いその熱さに思わず悲鳴を上げ、助けを求めるように辺りを見回した――が、そこに見えたのは他人事のように此方を見つめる人々の目ばかり。
自分が生贄に選ばれなくて、心底ホッとしているようだった。
皮肉なものだ、と少女は思う。
どうして今まで耐えてきた自分がこんな目に合わなければ行けないんだろう。どうして人のために行動してきた自分が。
”偽善者”という言葉が浮かんだが、それは足から伝わってくる熱さにあっという間に焼かれて消えた。
――違う。
違う違う違う。偽善者なんかじゃない。やりたいことならもっとたくさんあった。でも人の事を最優先すると自分のことをする余裕なんかなかった。
本当は、反吐が出るほど嫌だったのに。
意識を手放す事ができたらどんなに楽だろうと、少女は切に思った。
生き地獄だ。これ以上の苦しみなんか無い。そう思うほどの灼熱が襲い掛かってくる。
痛みと苦しみと絶望だけで支配された頭が朦朧とし始めた。
――もうすぐ楽になれるんだろうか。
そう思った少女の目が不意に捉えたのは、あの少年だった。
少年の顔は他の者達と違う。心なしか、笑っているように見えた。
――あぁ・・・・。
もう消えかけている意識の中で、少女は最後に思う。壊れたような笑みを浮かべて。

自分が今までしてきた事は全て間違いだったんだろうか、と。


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