想歌 6

 何が起こったのかは分からない。
 とにかくそれは突然起きて。
 俺の視界が、開けたんだ。

――「唯・・・・?」
 まるで世界が転変したかのように、それまであった景色が見事に崩された時。俺の目に真っ先に飛び込んできたのは今1番会いたかった人――唯だった。
 もう死んでいるはずなのに夢を見ているんじゃないかと思って、小さくその名を呼んでみる。
 目の前のアイツは足を抱えて膝に顔を埋めていたけれど、俺が呼んだ瞬間目を見開いて顔をあげる。
 そうして俺の姿を捉えたその目は、濡れていた。
「さ・・・か、き・・・・?」
 信じられない、と言った風に俺の名前を呼んだ唯。
 ――あぁ、これは夢じゃないんだ。
 俺がほんの少しある唯との距離を縮めようと近づくと、アイツの顔は見事に歪んで。
「・・・榊だぁっ・・・・!!」
 潤んだ瞳からは止め処なく涙が零れ始める。伸ばされた手は俺を求めているんだと、瞬時に悟った。
 唯、唯。
 俺の腕だって、お前を抱きしめるためにあるんだ。
 ――だけど。
「・・・くそ・・っ・・!!」
 スカっ、と見事に俺達は互いの体をすり抜けてしまった。
 抱きしめてやる事さえ出来ないのか。せっかく会えたのに。
 体が・・・ないから。
「ごめん、唯・・・本当にごめん・・・」
 触れることが出来ないなら、せめてお前を慰めてやりたい。だけどまず――謝りたい。
「お前との約束、俺守れなかった。気づいたら死んでて、でもせっかく会えたと思ったら今度は触れることも出来なくて・・・」
 どんな言葉を並べたって言い尽くせない。お前にどうしたら許してもらえるかなんて分からない。
 だけど、
「俺だって・・・・悔しいよ」
 ずっとずっと、俺だって本当は苦しかったんだ。あんな何も無い空間で、時間の感覚さえ分からなくて。お前にずっと会えなくて。
 本当はずっと泣きたかったんだ。
「榊・・・・」
 今度は俺の目から涙がが零れて。
 触れる事はないはずなのに、唯がそっと俺の頬に手を伸ばした瞬間温かいものが伝わった気がした。
「何で・・・・置いてったのよぉ・・・」
 涙でキラキラと光る唯の目はしっかり俺の双眸を捕らえて「許さない」と言っていた。
 でも嬉しかったんだ。
 もし今お前の中にある感情が憎悪だとしても、それは俺のための涙なんだろ?
 俺はずっとお前を想い続けてきて、お前は俺を忘れてなかった。
 ――十分じゃねぇか。
「唯」
 俺はもう1度そう名前を呼んで、触れることの出来ない体を抱きしめた。
 お互いがお互いを慰めるように、俺達は泣いていた。


 笠井君に告白された事よりも、自分自身の事や榊との事を見破られた私は今まで保ってきたものをグチャグチャに壊された気分だった。
 あの作った笑顔が彼の前では皆無だったのかと思うとどうしよもない苛立ちが襲ってきて、抑制が効かない。家に帰ったあとの私は、とにかくずっと泣いていた。
 だけど不意に、声が聞こえて。
 それは確かにあの人の声で「唯」と、私の名前を呼んだ。
 驚きと、それとは逆に何か確信めいたものとともに顔をあげた。胸いっぱいに切なさと愛しさが広がっていた。
 目が捉えたのは、紛れも無いあの人。
 私が会いたくて会いたくて仕方なかった、世界で1番愛しい人。
「さ・・・か、き・・・?」
 本当はすぐにでも彼に飛びつきたかった。だけどやっぱり信じられない気持ちがあって、夢でも見ているんじゃないかと彼の名前を呼んでみる。そうすると目の前のその人も、驚いたように目を見開いて。
 ――あぁ、伝わってる。夢じゃない。
「・・・榊だぁっ・・・・!!」
 視界が一気に涙で歪んで、私はすぐに目の前の人に飛びついた。
 ・・・だけど、期待したはずの感覚はなかった。
 瞬間的に悟る。やっぱり目の前に居る人は、死んでいるんだと。
「・・・くそ・・・っ・・!!」
 同じ事を思ったのか、榊は悔しそうにそう悪態をついて。
 触れることさえ出来ない、悲しすぎる現実。
 ――会えただけでいいじゃない。我慢しなさい。
 もしこの奇跡を起こした神様なら、きっとそう言ってると思う。
 だけどムリだよ。
 ごめんなさい。私欲張りだから、会えただけでなんて満足できない。
 こんなに愛しいと思う人が目の前に居るのに――・・・どうして抱きしめる事さえ出来ないの?
「ごめん、唯・・・ごめんな・・・・」
 榊が謝らないでよ。仕方ないじゃない。
 心のどこかでは「事故」だって分かってる。だけどそれを簡単に許せないんだもん。
 だって私には、あなたしか居なかったから。
「何で・・・・置いていったのよぉ・・・」
 責めるつもりなんて無い。ただ、吐き出させて欲しかった。あなたなら分かってくれると思ったから。
 ねぇ榊。私多分ずっと待ってたんだよ。いつかもう1度会える、夢みたいな日を。
 それから、もう1度会えて確信した。
『俺・・・・・・朝来さんの事好きだよ。だからずっと見てた。無理して笑ってるのも全部・・・・苦しそうに見えた』
 ――どんなに優しい言葉を並べられて、どんなに私の事を分かってくれてる人が居ても。
 やっぱり私は榊じゃないと駄目なんだ。
 良く分からないけど笠井君に不満があるわけじゃないと思う。ただ自分が、あの人じゃないと駄目なだけ。
 ねぇ榊。私のこと、ちゃんと忘れないで覚えててくれたんだね。
 私だって忘れた事なんてなかったよ。
 今ならちゃんと、気持ちを伝えられる。
「唯」
 もう1度名前を呼ばれて、顔を上げる。泣いてる榊を慰めてあげられるのはきっと自分だけなんだ。
 だけど泣いてる私を慰められるのも、きっと榊だけ。
 触れられないって分かってるけど、私は榊の背中に手を回して。
 私達はまるでお互いがお互いを支えあっているように泣いていた。

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