もう人を本気で好きになる事なんて、絶対に無いと思ってた。
だってあの人を超えられる人なんて
居るはずが無いんだから。
「朝来さん?」
ある日の放課後、少しやらなければいけないことがあった私は一人教室に残っていた。静かな空間に低い声が飛び込んできたのは外が暗くなり始めていたころ。
もうみんな帰ったあとだったので、驚いた私は弾かれたように振り返った。
「何・・・・してんの?」
そこに立っていたのは、同じクラスの笠井君。向こうも驚いたように私をジッと見つめながらそう言った。
「あ・・・えと、私学級委員長だから先生にちょっと頼まれた仕事があって。笠井君こそ何してんの?」
瞬時に顔に笑みを浮かべて尋ねると「ちょっと忘れ物」と彼は答えた。それから顔を曇らせて
「でもさ、こんな時間まで一人で作業って危なくね?先生何も考えてないよな」
なんてブツブツ文句をいい始める。私は適当に笑ってその場をしのいだ。
・・・・人と一対一で話すのは嫌い。
目を見て話す事は、もっと嫌い。心の奥底まで見られているようで落ち着かないし、私は自分がちゃんと笑えてるかどうか不安なの。
自分を繕わなきゃいけないのも嫌いだけど、でもそうしないとみんなが自分の周りから離れていきそうで怖い。
榊なら・・・・・・・あの人の前でなら私は無理に笑わなくても良かった。無条件で愛してくれたから。
あの人には私しか居なくて、私にもあの人しか居なかった。
ねぇ、榊。やっぱりあなたの居ない世界は、とっても息苦しいよ――。
「――さん、朝来さん?」
その時、心配そうに顔を覗き込まれ私はハッと我に返った。
「なっ、何?」
慌てて答えると「聞いてなかった?」と笠井君に苦笑された。
小さく謝った私に、今度は彼が慌てて言う。
「や、別に謝らなくていいよ!えーっと、今から女の子が一人で帰るのは危ないから俺が送ってくよって話をしてたんだけど・・・・どう?」
拒絶されたくなさそうな、少し心配そうな目でジィっと見られて私は今すぐ彼の目から自分のそれを逸らしたい衝動に駆られた。けれどそこをグッと我慢すると、困ったような笑みを作る。
「でもまだ結構かかると思うし・・・外は真っ暗になるよ?笠井君にも悪いし・・・・」
「暗くなるなら尚更、だろ?」
本当は、すぐにでも彼に帰って欲しかった。
独りは寂しいけど、一人になりたかった。だって誰かの前だと「いつも笑ってる私」を演じなくちゃいけないから。なのに笠井君は、呆れたようにそう言って笑う。
ここまで言われたら断れない私は、ついに彼の申し出を受け入れてしまった。
その後、先生に任された仕事は笠井君も手伝ってくれたため意外と早く終わった。
とは言っても帰り道はもう真っ暗で、やっぱり一人で帰るのを想像すると少し怖い。
だから隣に男の子が居るという事は、とても心強くて有りがたかった。
けれどそれと同時に言い表しようの無い深い喪失感が胸に湧き上がる。
ちらりと隣を見てみると、そこには一人何かを話している笠井君。私も適当に相槌を打っているものの、心が浮ついていて話の内容が耳に入ってこない。
――違う。
ふわふわとした感覚の中で、私の中に否定の言葉が生まれた。
――私の隣を歩いていたのは、いつも榊だったのに。
この人は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・違う。
あの日から、胸にぽっかりと穴が空いている。それはいつになっても塞がる事の無い穴。
何かが欠けたのではなく、何もかもがなくなってしまった。あの人を失った私には、もう何も無い。
だって榊は・・・・・私の全てだったから。
「・・・・・ごめん」
無意識のうちに、そんな言葉が口から漏れていた。
「――へ?」
急に口を開いた私に、笠井君は驚いたように足をとめる。
「え?どうしたの?」
「・・・送ってくれてありがとう。家すぐそこだし、私もうここでいいから」
もうこれ以上、別の人と歩きたくないから。
無理矢理笑顔を作ってそう言った私は、笠井君が何かいう前にパッと彼に背を向ける。そうして早足でその場から立ち去ろうとした時だった。
「無理に・・・・笑うの、やめた方がいいんじゃないのかな・・・・」
ヒヤリ、と冷たいものを感じた気がした。もしかしたらこれは・・・・冷や汗?
私は・・・・・・・・動揺してる。
「無理に・・・・?」
振り返って、努めて冷静にそう聞き返すと彼は困ったような顔をして。
「俺の事ウザイって思ったらごめん。でもなんか・・・・いつも無理矢理笑ってる気がして・・・さ」
頭を掻きながらそう言った彼を、私は呆然と見つめた。
あぁ・・・・・・・・どうして。
どうしてこの人に、見破られたんだろう。
「俺・・・・・・朝来さんの事好きだよ。だからずっと見てた。無理して笑ってるのも全部・・・・苦しそうに見えた」
――それは、突然の告白だった。
正直どうすればいいのか分からなかったけれど、嬉しいという想いは不思議とない。
いや、それよりも。
好きだといわれた私は・・・ただ悲しかった。
”唯”
名前を呼んでくれるのも、
”好きだ”
そう囁いてくれるのも。
それは全部、榊じゃないと嫌なの――。
「ごめ、・・・・・なさい」
喉の奥から搾り出した声は、おかしなほど掠れていた。
でもこの一言で今この瞬間が終わる。ううん、早く終わらせたい。こんな、辛い時間。
・・・・・・それなのに。
「神谷・・・・・榊か?」
ズキリ、と胸の奥に何かが突き刺さったような気がした。
無理矢理な笑顔を作ってまで接したはずなのに・・・・・・・・これはそれが、皆無だったっていう証拠?
でもどうして笠井君がその名前を持ち出すの。
私たちの間には・・・・誰も入ってこないで。
「・・・・っ、とにかくごめんなさい。送ってくれてありがとう」
本当は、他にもいろいろ言いたいことあったけど。でもそれ以上言うと自分の中の感情が収まらなくなりそうだったから私は再び彼に背を向けた。
そうして今度は、全速力でそこから駆け出した。
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