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 私は小さい頃から良く”人に見えないもの”が見えた。多分、世間で言う「幽霊」とか言うものだと思う。
 初めてその姿を目にした時は怖くて怖くてどうしよもなかったけど、私が成長するにつれて彼らは特に何も訴えかけてこなくなったので、もう慣れてしまった。
 感覚が麻痺してしまったのかもしれないけれど、それならそれで別にどうだっていい。
 でも――。
 この世に生を受けてから15年。人と違う環境で育ったせいか、私にはどうやら少しだけ周りと世界観のズレが生じてしまったらしい。
 まぁ、自分が困る事は分かっていたからそれを口には出さないけれど・・・。
 人はいつだって、自分と少しでも違うものに不審感と恐怖を覚える。
 それを何回か体験するうちに、幼いながらも私はそう悟ってしまった。だから今は、周りの友達と同じようにお化けなんかの類の話を聞くと「怖ーい!!」と叫んでみたりしてる。
 ・・・ただ猫かぶってるだけか。
 それでもまぁ、周りからは何の変哲もない凡人として扱ってもらえてるから良しとしよう。
 学校も楽しい。友達だって居るし、あこがれてる先輩とかも。家族だってユニークだし、悩みがあるとしてもそれはほんの些細な事。
 今の私は、この世界に何の不満もなかった。

 それは、いつものように学校に行って、友達と他愛ない話をしながら家に帰ってきて終えた本当に平凡な1日の事。
 私はその日眠りにつく前、再び目を開けた時にはまたいつもの生活が当然のように繰り返されるものだと思っていた。
 だって、それが繰り返されなかった日なんて今まで1度も無かったから。
 明日の朝にはいつものように睡魔に悩まされながらもちゃんと起きて、それから朝食を食べて学校に行く。学校に着いたらチャイムが鳴るまで友達と喋って、勉強はそこそこ頑張って。
 そんな当たり前の日常が繰り返されるものだと思っていた。

 「明日」には何の不満もなく、ベッドに入るとその日の疲れがどっと押し寄せてきて、私はすぐに眠りについた。
 正確に言うと・・・眠気、と言うよりも何かに操られるように目を閉じて、その後の記憶は無い。
 そしてその眠りの中で、私は確かに夢を見た。
 けれど、目を覚ますとそれがどんな夢だったかは一瞬にして分からなくなってしまった。確かにくっきりと見えていた光景は、まるで水をかけられた絵のように滲んで、ぼやけた。やがては何も見えなくなって、私は何だか釈然としないままベッドから降りる。
 一体何を見ていたんだろうと、まだぼぅっとする頭で考えつつ、学校に遅刻しないように注意しながら私は着替えを始めた。

「おはよう、萌華 (ほうか) 」
「おはよーお母さん」
 制服に着替えて、私の部屋がある2階から1階に降りると先に起きていた母がキッチンで忙しなく動いていた。
 朝食とお弁当作りに奮闘する母の、毎朝の光景。
「毎日頑張るねぇ」
「当たり前でしょー。朝食は大切よ?何しろ萌ちゃんの健康がかかってんだから!」
「何それー」
 いかにも「我が子溺愛」みたいな感じで言ってるけど、別にこの人はそう言う感じの人じゃない。
 ただちょ〜っとおふざけが混じってるだけ。
 私の家は父、母、私の3人家族。
 母はいつもこの調子だし、父も「今時あり?」ってぐらい穏便な人。そして年中新婚気取りのラブラブ夫婦。
 子供の私としては何かと苦労する事もあるけれど、まぁそれもうちの家族の特徴ってことで。
 母が作った朝食を美味しく頂いてから、身支度を済ませた私は「行ってきます」と言って家を出る。
 因みに父は仕事が終わるのが夜遅いから、今もまだ夢の中。
「行ってらっしゃーい」
 ドアを閉める直前、家の奥からは母の元気な見送りの声が聞こえた。
「えーっと、今日は確か国語の小テストがあって・・・しかも体育が2時間もある!?わー、最悪・・・」
 学校に向かう途中、昨日暗記してきた時間割を思い出しながら私はそう呟いた。
 苦手な教科と面倒なテスト。まぁこれもまた、愛すべき平凡な日常の一コマなんだろうけどさぁ・・・。
「面倒くさい・・・」
 思わずそう呟いた。
 その、瞬間だった。
 突然、ぶわっ、と前方から風が吹き付ける。
「きゃっ・・・」
 長めの髪が乱れ、周りに合わせて短くしたスカートのすそがめくれ上がりそうになるのをどうにか阻止する。
 風が吹いたと同時に飛んできた埃が目に入って痛い。
「何なの・・・」
 そう言いながら何度か瞬きをして、ようやくまともに目が開けられるようになった時。
 私は目の前にいる人物に、絶句した。
 さっきまで誰も居なかったはずのそこに、まるで風とともに現れたかのようにその人物はたっている。
 青い目、青い髪、蒼白とも思える白い肌。
 日本人ではありえない、男の子。
「・・・・・え・・・・」

 戸惑いの声をあげて、反射的に一歩後退する。
 すると目の前の男の子は、その青い目を細めた。
 微かに笑われたような気がして私は顔をしかめる。
「お前が・・・鬼城萌華(きじょう ほうか)か?」
 驚いた事に、その男の子は私の名前を呼んでくすっと笑う。
「えーと・・・あなたは幽霊サン?」
「違う」

 幼いころからおかしなものが見えて関りがあるため、普通の人より対応の仕方ぐらいは心得ているつもりだった。
 なのに、こんなに見事に否定されたのは初めて。
 ・・・弱ったなぁ。私今から学校行かなきゃいけないのに・・・。しかも男の子、何かブツブツ呟いてる・・・。
 けれど困惑する私に向かって男の子が発した次の言葉は、私の理解許容度なんて恐ろしいぐらい超えていた。
「・・・よし、決定だ。お前が俺の嫁だ」
「・・・・・は?」
 あの・・・・、言葉が理解できない・・・よ?
 っていうか・・・何を勝手に決定しちゃってくれてんの?私の聞き間違いじゃなかったら、今嫁がどうのこうのって・・・・
「何を難しい顔をしている」
 と、前方から少しいらだちの混じった声が聞こえて、私の思考を妨げる。
「時間が無い。すまないが、印は刻ませてもらう」
「“いん”・・・?」
 何、印って。
 そう思っているとまたしてもさっきと同じように風が吹く。それと同時に体がふわりと軽くなって、私は思わず悲鳴を上げて目をつぶってしまった。
 けれど、一時の浮遊感は長く続かなかった。
 急に、体を誰かにつかまれた様な衝撃を感じる。
 何が起こったのかわからず、とりあえず体に安定感が戻った時私は恐る恐る目を開けて――
「危ないところだった・・・・。もう大丈夫ですよ、姫」
 思わず、息を呑んだ。
 鋭くて切れ長の目。尖った爪。炎をまとった様な赤く、大きくて威圧感のある体と、重そうな肢体。
 滲んだ夢の絵が、ゆっくりと輪郭を取り戻して。
 あぁ・・・そうか。

 これは、私の夢に出てきた龍だ――。   


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