...10

 胸の圧迫感は、焔について何処かへ向かうほどに大きくなっていった。
 どうしてこんなにも息苦しいんだろうと、原因を探ってみても理由がありすぎてハッキリとこれだと言えるものが無い。
 ただ苦しいまま、私はずっと俯いて歩いていた。

「――萌華、つきましたよ」
 どれぐらい歩いたか分からない頃、唐突に焔がそう言って立ち止まる。
「へっ?」
 ずっと俯いて考え事をしながら歩いていた私は、そんな間抜けな声で顔を上げる。
「こ・・・・こ・・・・・?」
 そこには、一際大きな建物が立っていた。赤レンガは他のものよりも色あせているように見えるし、思い切って言っちゃえば今にも崩れそうな所。
 ただ、重そうな鉄扉だけがそれに不似合いで印象的。

 ポカン、とその建物を見上げる私とは対照的に、焔はなれた手つきで重そうな扉を開ける。ギギギ・・・と耳障りな音を立てて開いたそれの向こうは、思わずゾッとするほど薄暗くて気味が悪い。
「萌華、こちらへ」
 焔に促され、私は建物の中に足を踏み入れる。
 瞬間、懐かしくも不快な気配がどっと押し寄せてくる。

 ――ぐっ。

 痛いほど強い力で横から腕を掴まれた。
「・・・・どうかなさいましたか?」
 建物の中に入ったはいいけれど、そこから身動きしない私をいぶかしむように焔が問い掛ける。
「ちょっとね・・・」
 曖昧に答えて微笑みながら、私は心を落ち着かせて腕を掴まれている方向に目を向けた。
 思ったとおり、目に入ってきたのは人の形を失いつつある”幽霊 ”。
 冷たい目で、それでも必死に私の腕を掴む。体半分が人のものではなくなっているのを見ると、どうやらもう半分は龍のものらしい。

 ――タ ス ケ テ

 風の音にも似たようなかすかな声が耳に入った。
 体中に、嫌な感じが走る。
 あぁ・・・久しぶりにこんなにすがってくる奴みたよ。
 冷たい目をジッと見返し、それから私の腕を掴んでいる骨のような手をゆっくりと離す。

「ごめんね」

 行かないで。・・・そう訴えかけてくるような目を見ないようにしてそれだけ告げた私は困ったようにこっちを見ている焔の方に小走りで駆けていく。
 ・・・仕方ないよ。今の私には何も出来ないんだから。

「萌華・・・?」
「あー・・・ちょっとね。腕掴まれちゃって」
 あはは、と誤魔化すように笑いながら言うと焔はハッとしたように目を見開いて。
「誰かが・・・貴方に助けを?」
「うん・・・まぁ、そんな所」
「そう・・・ですか」
 そう言って、悲しそうに俯く。口をぐっと引き結ぶその姿は、あまりにも見ていて痛い。
 きっとさっきの幽霊は、もとは焔達の仲間だった人なんだと思う。
「焔・・・」
 自慢じゃないけど、人の心は小さい頃から良く見えてたから。

「泣きたいなら、我慢しなくていいんだよ?」

 ・・・・ごめんね。隠してるつもりでも分かっちゃうんだ。

 私の言葉に、焔は驚いたように顔を上げる。そうして悲しい顔のまま微笑んだ。
「・・・俺は・・・泣いてる暇なんてないですから」
「そっか・・・」

 悲しいはずのその笑顔が、とても綺麗に見えて。
 強くあろうとする彼の姿は、同時に誰よりも気高く感じられた。


 それから私たちは薄暗い建物の中を歩いて、地下へと続く階段を下りる。
 どうしてこんな所に人が集められるのか分からず、その理由を考えながら歩いてきた私だけど。
 最後の段を下りてから辺りを見渡し、その光景に愕然とした。
 まず目に入ってきたのは太くて黒い、いかにも頑丈そうな鉄格子。
 それからその中に居る、怖いほどやせ細った人やそれとは対照的な至って普通の健康そうな人の姿。
 実際に見たことが無いからはっきりと言い切る事は難しいけれど、私の知識が正しいならば。

 もしかしてここは・・・牢獄?

 でもどうして牢獄に人を集める必要が・・・?あんなに健康そうな人たちがここに居るのもおかしいし・・・。

 目の前の光景が理解できずに居る私に、焔は小さく言う。
「理由は後で説明します。今はなるべく俺から離れないようについて来てください」
「はい・・・」
 言われたとおり彼とあまり距離をとらずに歩く。鉄格子がどんどん近づいてくる。
 ・・・と、誰かが私たちに気づいた。
「焔・・・か?」
「焔!?それではあの隣のお人が・・・」
「救い主様!!」
 誰かが甲高い声でそう叫んだ瞬間、牢獄の中の人々は弾かれたようにこちらを振り返る。
 うつろな目が、何かを激しく欲するような目が私を捕らえる。

 ――怖い。

「大丈夫です。俺がついてますから」
 思わず怖じ気づいた私に囁くようにそう言って、焔は尚も足を進める。
 それでも私は大勢の目が怖くて、足が先に行くのを拒む。
 まるで動物園のライオンや虎を間近で見ているような感覚だった。近づきすぎると、襲われてしまう。

「みんな、少し黙れ。怯えさせてどうするんだ」

 その時、聞いたことのある太い声が薄暗いこの場所に響き渡る。
 それまでジッと私達に目を向けていた人々は、今度は声の主の方へと振り返った。
 そしてそこに立っていたのは、

「悪いな、怖がらせて」
「輝舟・・・」

 申し訳なさそうに笑う、輝舟だった。
「いや、これだけの人数を集めてくれたこと感謝するよ」
 焔が言うと、輝舟は首をふる。
「別に、俺が頑張ったわけじゃないさ。みんな最初からこの時を待ってたから」
 そう言って、輝舟は牢獄の重そうな黒い鉄で出来た扉を開ける。

「さぁ、お入りください。我が”救い主様 ”」

 ・・・・・・正直、あまり気は進まないんだけど・・・。
「どうぞ、萌華」
 そう言って焔に背中を押されると入らないわけにはいかない。
 一歩牢獄に足を踏み入れると、すがるような人々の目が私の動きにあわせて動く。
 ・・・居心地悪い。

「あぁ・・・あんな少女が我等の救い主か・・・・?」
「本当に私たちを助けてくれるの?」
「これでもう恐れるものがなくなるの?」

 次々と、耳に入る疑問の声。その答えはきっと私が持っているんだろうけど。
 胸の圧迫感が増す。息苦しい。
「みんな言葉を慎め」
 唐突に隣からそんな声が聞こえ、見上げるともうお決まりになってしまった焔の顔。
 彼のその一声で辺りはしん、と静まり返った。
「この方が、我等赤龍に与えられしお方。我が救い主だ」
 凛とした焔の声が静まり返った牢獄に響き渡り、反響する。
 人々の視線は未だ私に向けられたままで居心地が悪いのは変わらない。

「救い主様の・・・・お名前は何と?」
 一人の老人がそう言って、一歩前に進み出る。そうして私をジッと見つめた。
 落ち窪んだ双眸を見返してみる。彼は健康、とまでは言えそうに無いけれど、とりあえず弱りきっても居なかった。多少足腰が曲がっているものの、しっかりと自分の足で立っている。
「萌華と言います」
 怯まないように老人を見返しながら、私は答えた。すると辺りからは「萌姫」というすがるような声がわずかに上がる。
「お年は?」
「15です」
 ほぉ、と老人が言って今度は焔と輝舟の方に目を向ける。
「姫が見つかったと言って集められたが・・・まだ15の少女だったか」
「雷灯(らいとう)さんよ、ちょっとは言葉を慎んでもらいたいなぁ」
「じゃが、こちらも生死に関る事なんでな。力があるかどうかは知っておきたいんじゃよ」
 輝舟の言葉を軽く流した老人に、焔は苦い顔をする。
「姫の前で少し失礼かと思われますが」
 そう言った焔を何も言わずに一瞥して、雷灯と呼ばれた老人はまた私に目を向けた。

「萌華・・・と申されたか」
「・・・はい」
「貴方にはわしらを救う気がありますかえ?」

 ・・・一瞬、何を言われたか分からなかった。
 自分たちを救うだけの力があるのかと、そう聞いてくれた方が良かったのかもしれない。そうすれば焔や輝舟が助け舟を出してくれたと言うのに。

 その老人の問いかけは、まるで私の心を全て見透かしているようで。

「私・・・は・・・」
 私は――・・・・
 結局、どうしたいんだろう?
 ただ話の流れで今までお城で保護されてて、そうして流れに乗ったままこんな所にやってきて。
 暁との結婚話だってうやむやになってるし、それ以前に私は元の世界に帰りたいだけなのに。

 ――私が動かなくたって、もう物語りは始まってしまっている。

 今からじゃもう抜け出せない気がして、息苦しさは増すばかり。
 すがるような、飢えているような、絶望のような。
 そんな人々の目が全て私に向いている。
 本当に自分に、こんなに大勢の人の生死がかかってるの・・・?

「ご覧下さい」
 老人は、答えられずに言葉を無くす私に言う。
「ここにいる哀れなやせ細った者たちは、もう何十年も日光を浴びてはおりません」
「え・・・?」
 確かに、老人の示す方に居る人たちは皆青白い肌をしているけれど。
 何十年も、日光を浴びていない?
「外に出ていない・・・って事ですか?」
「その通り」
 老人は答えて、ちらりと焔に目をやった。
「この者たちは奇病を恐れ、元は罪人を入れておく牢獄だったこの場所に非難してきました。それから外に出るのが怖いと言って、もうずっとこの状態です」
 あぁ・・・バトンタッチってわけだ。
 焔が雷灯さんに代わって説明し始めたのを見て、ぼんやりとそんな事を思う。
 きっと彼にとっても、これ以上この荒んだ状態を口にするのは酷なんだろう。
「力ずくでこの人たちを外に出すわけにも行かないんで、街の皆をこっちに集めたってわけさ」
 焔の隣では輝舟が苦笑しながらそう言った。

 私は目の前の人たちを真正面から見返した。
 良く見てみるとその中には小さな子供の姿もある。その双眸は、泣きはらしたかのように腫れて赤くなっていた。
 ううん・・・・子供だけじゃない。ここに居る人たち全員の目が、もう濡れている。
 あまりにも悲愴に満ちた赤い瞳。ただ、その瞳に映る私は彼等の希望なんだろう。

「この人たちも・・・・誰か大切な人を失ったの?」

 気づいた時に口から零れていたのはそんな言葉で。何故か分からないけれど酷く胸が痛かった。
 圧迫感にも勝るその痛みは、やがて涙となって私の瞳から零れ落ちる。
「貴方に我等の痛みが分かりますかえ?」
 雷灯さんは涙を流す私に静かにそう問い掛ける。
 ――勿論、大切な人を失った悲しみは私も味わった事があるし、現に今だって大切な家族や友達と離れ離れになってもう会えないかもしれないし。
 その問いかけに答える事は容易かったけれど、私は涙をぐっと拭って自分を見つめるその全ての目をしっかりと見返す。

 私が今ここに存在する理由があるのだとすれば――

「私が――きっとあなた方を救って見せます」


 もう自分は、それから逃げない。


Back || Top || Next
inserted by FC2 system