...9

「ねぇ焔・・・」
「はい?」
「もしかしてここが・・・目的地?」
 私は目の前の光景と焔を交互に見て、呆然と呟く。足からは力が抜けていくような感覚。
「そうですよ」
 私の言葉に答えて、焔は続ける。

「ここが、我等の地の最果てです」


 そこには、何も無かった。正確に言えばそこから先は、なんだけど。
 思わず「嘘」と声をあげる。だって私の世界は、何処まで行っても行き止まりなんて無かったから。必ず道は何処かで繋がっていたし、例え前に進めなくなったとしてもそこには海があった。
 それなのに今私が立たされている場所は、あと数メートルも歩けば底の見えない所に落ちてしまうような高い高い崖の様な場所。

 ――ここが・・・・最果て?

「驚かれましたか?」
「うん・・・すっごく」
 素直に答えると、焔は小さく笑う。
「俺達の世界には海というものがないんです。分かり易いように言えば、ここは空に浮く島のようなものだから。あまり先に行かれると下界に落ちてしまいます、気をつけてください」
「下界?」
 聞きなれない言葉を繰り返す。この世界の事は何1つ分からないから、その意味をしっかりと覚えておかなければいけない。

「下界というのは萌華が元居た場所の事です」

 あぁ、そう言うことか。
 ・・・と、納得した次の瞬間私はハッとする。
「ちょっと待って・・・!って事は、ここから落ちたら私は元の場所に帰れるの!?」
 思わず人の姿に戻った焔の腕を掴み、尋ねると彼はやっぱり申し訳なさそうな顔で首をふる。
「下界とこの世界の間には気まぐれな歪みがあります。迂闊に飛び降りて歪みに飲み込まれると、元居た場所は愚か、その時代にすら帰れない確率は限りなく高い」
「それじゃ・・・どうしてあの時焔や空志様は私のところに来れたの?」

 納得いかない。
 二人も私の元にやってこれたのに、たった一人向こうに戻りたい私が無理だ何て。

 「萌華」と、私の手を慰めるように握って焔は言う。
「歪みは気まぐれだから、日によってその大きさを変えるんです。俺達は人間とは比べ物にならないぐらいもう長い間生きてきたからその大きさを見分ける事が出来る。あの日は、今までで見たどの歪みよりもそれが小さかった。だから俺達は貴方の元へ訪れる事が出来たんです」
「そう・・・なんだ・・・・」

 ゆっくりと焔から手を離して、私は下を見下ろす。
 よほどここが高いからなのか、暗闇で底なんて見えない。それに私には歪みすらも見えなかった。
 きっと焔や空志様や暁や。長い間ここで生きて、歪みを利用して人間と交わってきた龍でしかそれを見極めるのは無理なんだろうと思う。

「ごめん・・・ちょっと取り乱したかも」
「いえ、貴方が謝る事はありません」
 柔らかく言う焔を見上げ、思わず泣きそうになった。けれど今は我慢して、無理矢理笑ってみせる。

「・・・そう言えばどうしてここに来たの?」
 崩れそうな笑顔を隠すため、私は咄嗟に話題を変えた。泣きたい衝動を抑えこんだせいか、酷く息苦しい。
「貴方に紹介したい者たちが居て、お連れしたんです」
 焔はそう答えて体の向きを変えた。私もそれにならい、崖に背を向ける感じで方向転換する。

「この地の民は貴方がここに来る事をずっと待っていたんです」

 ――最果てから見た赤龍の地。
 広大な緑に包まれた街の姿が、今はっきりと確認できた。何処か懐かしい気持ちがこみ上げて来て、何ていっていいか分からない。
「萌華」
 名前を呼ばれ、焔の方を見る。

「行きましょう」

 微笑んだ焔は、そっと私の背を押して。
 私は無意識のうちに、そんな彼の服をぎゅっと掴んでいた。


 次に焔に連れられてやって来たのは、あの緑に包まれた街の中だった。
 辺りを見回すと、ここに初めて来た時に見た人たちと同じような人がたくさん居る。
 街のあちこちでは市が開かれていて、焔のように赤い色を持つ人ばかりが談笑したり買い物したりしている。
 それでも街は、何処か寂しげな雰囲気だった。はっきりと何処がおかしいのか聞かれると答えられないけれど、私にはそれらに陰があるように見える。
 街の建物が寂れているせいなのかもしれない。赤レンガで造られたようなそれは、全体的に埃をかぶっているような感じ。
 この街は治安が悪いのかもしれない。

「――焔?」

 その時だった。太い男の人の声が、人込みの中から彼の名前を呼ぶ。
 そうしてその声を耳にした焔も、ハッとしたように振り返り――

「あぁ、やっぱり焔だ!!」
「輝舟(きしゅう)!」

 手を上げて駆け寄ってきた男の人に、嬉しそうに微笑みかけた。
「久しぶりだな、お前!お城に閉じこもってるからてっきり仕事詰でげんなりしてると思ってたのに意外と元気そうじゃないか」
「まぁここの所いろいろ忙しかったからな。そっちは?変わりないか?」
「いや・・・まぁ、悪くもならないし良くもならない。停滞してるな」
 男の人はそう言って、苦々しげに笑った。そうしてふと、驚いたように私に目を向ける。
 まるで「今気づきました」みたいなその態度に私は少しムッとする。
「おい、もしかしてそのお嬢さんは黒龍の――」
「違う違う、この方は龍ではないんだ」
 一歩私に近づいて凝視しながら言う男の人に、焔は慌てて弁解する。
「龍じゃない?って事はまさか・・・」

「あぁ、“姫”だ」

 焔が答えた瞬間、私を凝視していたその人は目を丸くして更にこちらに近寄ってくる。
「あんたが・・・姫なのか・・・・・・?」
「・・・・萌華って言います」

 それは、私に出来る精一杯の抵抗。
 この世界ではそう言う呼び名で呼ばれるのだとしても、私は私。姫なんて名前じゃない。

「萌華、これは俺の古くからの友達の輝舟と言います」
 ジッと見つめられ、動けなくなっている私を助けるように焔が言った。
 その言葉にハッと我に返ったような男――輝舟は、私に頭を下げて言う。
「御初にお目にかかります。輝舟と言います」
「初めまして・・・」
 つられて私も頭を下げる。けれど、どう見ても年上の人に敬語を使われるのは変な感じがする。
「えっと、敬語じゃなくていいですよ・・・?それから、出来れば姫じゃなくて名前で呼んで下さい」
 顔を上げて、思わず私はそう言った。すると目の前の輝舟はポカンとして、隣からはくすくすと笑い声が聞こえてくる。焔の笑い声だ。

「萌華、龍は上下関係を大切にする生き物なんですよ。自分よりも上の身分の者には本能で敬語を使ってしまうんです」
「え、そうなの?」

 そんな事龍じゃないから知らないよ・・・。大体私の世界では敬語をちゃんと使える生徒とかもかなり少なかったし。言わばみんな「友達」状態。先生でも普通にタメ語だったもんなぁ・・・。

 そんな事を考えていると、目の前の人物がぷっと吹き出す。
「面白いお姫様だな。俺は姫っつーぐらいだからもっと気位の高いお人かと思ってたけど・・・気に入った。あんたがそう言うなら、遠慮なく名前で呼ばせてもらうぜ」
 実は堅苦しい喋り方は苦手なんだ。
 そう言いながら、輝舟は人懐こい笑顔で私に手を差し出す。

「よろしくな、萌華」

 あぁ・・・この人、そんなに悪い人じゃないみたい。ううん、むしろいい人かも。何てったって焔の友達だし。
「よろしく」
 私は何の躊躇いもなく、差し出された手を握り返した。

「・・・さて、お互いに交流も済んだ事だし」
 と、隣からはそんな声が聞こえてきて。見上げると「良かったですね」と笑いかけてくる焔の姿。
「そろそろやらなければいけない事があります、萌華。・・・輝舟、みんなを」
「分かってるって。すぐにいつもの場所に集めるよ、出来るだけ多く」
「あぁ、頼んだ」
 二人の間では私には理解し難いそんな会話が交わされ、去り際に輝舟は私に向かって微笑みかける。
「それじゃ、また後でな。萌華」
「うん・・・・?」
 理解出来ないまま頷いた私を気にすることなく、輝舟は早足で歩いてまた人込みの中に紛れてしまった。
「ねぇ焔、また後でってどういう事?」
 輝舟が歩いていった方向を眺めながら焔にそう問い掛ける。
「萌華」
 焔は何処か切なそうに笑んで。
「言ったでしょう、貴方をずっと待っている者たちが居ると」
 そう言って、街を行き交う人に視線を向ける。
 そんな彼の横顔を見ていると何故か物凄く泣きたい気分になって。
 思えばさっきからもうずっと、胸を圧迫されるような感じが続いている。
 けれど現時点ではまだ、私は自分のこの気持ちに気づいていない。


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