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「萌華、気分転換でもいかがですか?」
言いながら、焔が差し出してきたのはきちんとたたまれた服だった。
「え?これ、私に?」
それを受け取りながら驚いて聞くと、焔はにっこりと頷く。
「少し遠出をするので、その格好ではご不便かと。それはこの地の女性の誰もが着ている最も一般的で動き易いものなんですよ」
「そうなんだぁ」
早速受け取った服を広げてみる。
色は白、散りばめたような赤い花の刺繍が所々に入っている。イメージ的には膝上ぐらいのチャイナドレスだけど、その下にはちゃんと動き易いズボンをはくみたい。
・・・うん。悪くないね。
「ありがとう」
お礼を言うと
「それじゃぁ俺は部屋の外で待ってますから。着替えが済んだら声をかけてくださいね」
そう言って焔は出て行ってしまった。
私は早速今まできていた制服を脱いで、用意されたものに着替えた。デザインは質素だけど、それは焔が着ていた服と同じでシルクのような肌触り。多分結構高価なものなんだと思う。
「あー・・・・制服どうしよ・・・・」
着替えが終わり、部屋を出る直前。一応たたんでベッドの上に置いておいたそれを思い出して思わず顔をしかめる。
何処かに隠さないと捨てられちゃうかも。
・・・ううん、それは絶対だめ。もし元の世界に戻る時にこんな服だったら驚かれるよね。
諦めが悪いかもしれないけれど、私はまだ望みを捨てたわけじゃない。いつか元の世界に戻る日まで、制服は大切にとっておこう。
「とりあえず人目のつかないところに・・・・」
たたんだ制服を持ってきょろきょろと部屋を見回す。
――と、丁度目に付いたのは衣装ダンス。
あぁ、ここでいいや。ここにきちんと閉まっておけば意図して捨てる人も居ないだろうし。
焔を長く待たせるわけにも行かないので、早々に決断した私は衣装ダンスに制服をしまった。
・・・・大丈夫。これをまた着る日は、必ず来るから。
「ごめんね、待たせちゃって」
部屋を出たすぐそこに、焔はちゃんと待っていてくれた。私がそう言うと柔らかく笑って「いいえ」と首をふる。
「それでは行きましょうか」
「うん」
歩き出した焔について、私は足を進める。自分よりも背の高い焔は当然私よりも足が長いわけで、歩幅も当たり前のように違う。
少しだけ小走り気味でついて行くと、それに気づいたらしい焔は振り向いて申し訳なさそうに笑った。
「もう少し、ゆっくり歩きますね」
焔の言葉に、胸の奥で何か温かいものを感じた。
そう言えば私は、元居た世界でもいつも必死で誰かの後を付いて歩いていた気がする。
・・・・いつもいつも、置いていかれるのが怖かったんだ。
「焔」
隣を歩く彼を見上げ、私は小さく微笑んだ。
「ありがとう」
初めて私に、歩幅を合わせてくれた人。
長い螺旋階段を上り焔と一緒にやって来たのはお城の最上階、屋上のような所だった。
見上げれば青空が、見渡せば街の様子が一望できる。
何処か陰鬱な雰囲気の城内とは打って変わった、眩いばかりに日光を浴びられる場所。
「凄いね、ここ」
子供みたいにはしゃぎながら言って、私は辺りを見渡す。初めてここに連れて来られたとき、1度だけその街の様子を見たけれど。こうやってじっくり見るのは初めてだったので、私はその光景に思わず見入ってしまった。
私が住んでいた場所は建物や家が多くて、緑なんてほとんど見られない。見れるとすればそれは街路樹ぐらいで、けれどそれも人工のもの。
この地の街はまるで、緑に飲み込まれたよう。広大な森が家々を包み込むようにして共存している。
少し前、学校に行く途中だったと思う。ふと街路樹に目をとめた私は、それを物凄く奇妙に感じた。
人間の世界に、極わずかな緑が場所を間違えたように生きている。そんな気持ちになったから。
でもここはその正反対だと思う。・・・ううん。むしろこれが、本来あるべき世界の姿だったんだ。
人はいつから忘れてしまったんだろう。あの世界にはもっとたくさん、存在する命があったと言う事を。
「萌華」
街の景色に見入っていた私は、名前を呼ばれてハッと我に返る。そうして振り向いた先には。
「え・・・焔・・・?」
3日ぶりに見る龍の彼の姿があった。
炎のような体は逆光で眩しくて、重そうに見えるその肢体はしなやかに動いた。
「遠出をすると言ったでしょう?俺の背中に乗ってください」
言って、焔は私に背を向ける。
「えっ、乗っていいの・・・・!?」
正直戸惑っていると、焔の急かす声が聞こえてくる。
・・・・・いいや。この前みたいにお姫様抱っこされるよりましだし・・・。
「重かったらごめん・・・!」
そう言って、私は思いきって大きな背中に乗っかった。
「しっかり捕まっててくださいね」
「う、うん・・・」
返事をした瞬間、両側の翼がぶあっと広げられる。と、同時に目線が高くなって、地面がゆっくり離れていった。
「わぁ・・・!」
この前とは違い、幸いにも今回は浮遊を楽しむ余裕があった。体に爽やかな風を受けて好奇の声をあげながら、私は街を見下ろした。
真上から見ると建物はほとんど緑で覆われていて、そこには青々とした森が広がっているよう。
「凄い・・・・綺麗ー・・・」
思わず呟くと、焔は小さく笑った。
「そう言えば萌華の住んでいた場所は緑がほとんど見えませんでしたね。昔の人間の世界はもっとましだった気がするのですが・・・」
「うん。変えちゃったんだよ、私たちが」
恋しくも寂しい気持ちで言うと「そうですか」と焔は答える。
今この世界に存在している自分。少し前まであの世界に何の不満も無かった自分。
――・・・確実に、何処かに誤差が生じ始めていた。