...7
暁が去っていくのをぼーっと見送って、気づいた時には焔に声をかけられていた。
「萌姫?そこで何をしていらっしゃるんですか」
ハッと我に返って、彼の方を見て。そうしてちょっとだけ睨んでみる。
「呼んだら来てくれるんじゃなかったの?」
「・・・もしかして、迷われましたか?」
恐る恐ると言った風に問う焔に、思いっきり頷いて見せた。
「おかげで暁に怒られてここまで連れてこられたんだからね」
「・・・・申し訳ありません・・・・」
焔が悪いんじゃない。むしろここが何処かも知らないで勝手に動き回った私が悪い。
でも焔の姿を見ると、何故か無性に不満を漏らしたくなった。
「――お願いがあるんだけど」
ちょい、と私は焔の服のすそを掴んだ。手触りがシルクに似ている。ゆったりとした、けれど無駄の無い上品な中華風のデザイン。
「何ですか?」
私よりも背の高い焔は、こちらを見下ろす格好で柔らかく聞き返す。
私もそんな彼を見上げて、この時言うはずじゃなかった言葉を口にした。
「私のこと・・・“萌姫”って呼ばないで欲しいんだけど・・・」
本当は、昨日の結婚がどうのこうのって言う話を真っ先に聞くべきだったんだろうと思うけど。
さっき迷子になって確信した。
私は本当にこの知らない世界で独りぼっち。
・・・誰でもいいの。誰でもいいからどうか「萌華」って、ちゃんと私の知ってる名前で呼んで欲しい。
すがるように焔を見上げると、彼は少し難しそうな顔をしていた。
「でも・・・貴方の守(もり)であって、配下の者である俺なんかが萌姫以外になんとお呼びすれば?」
そう言って難しい顔を一層しかめ、しばらくしてひらめいたように焔の顔がパッと明るくなる。
「萌華様!」
「違う」
即否定した私に「え?」と小さく声をあげて、焔は困ったように眉根を下げる。
あぁ・・・顔に出やすい人って可笑しいなぁ・・・。
「様はいらない。萌華って呼んで」
じれったくなって思わずそう言うと、焔は一瞬呆けたように私を見て。
「い・・・いけませんそんな!貴方は俺なんかが呼び捨てで呼んでいいようなお方ではっ・・・」
「お願い。名前以外で呼ばれると・・・私が私じゃないみたいで・・・」
握っていた焔の服を、より一層ぎゅっと握り締める。
想いを口にしてみると、本当にどんどん孤独が押し寄せてくる。
胸が痛い。喉の奥が熱い。
お母さん、お父さん、学校の友達。
みんなみんな、懐かしすぎる。
「・・・っく・・・」
俯いた瞬間、またしても涙が零れ落ちた。ここに来てからもうずっと涙腺が緩みっぱなしになっている。
けれど、それから少しして。
「萌・・・華」
自分の名前が呼ばれた。
涙で濡れた目で捉えたのは、困ったように笑う焔の顔。
「そんなに泣かないで下さいよ。暁様に見つかったら、俺なんて言われるか・・・」
気抜けしてしまうような焔の言い分に、けれどハッとするものがあって。
「そうだ!あのっ・・・私、聞こうと思ってたことがあって・・・!」
流れ落ちる涙は一瞬で止まる。ポカン、としている焔に掴みかかる勢いで私は尋ねる。
「その・・・もしかして私、暁と結婚とかさせられるの・・・・!?」
沈黙。
私の言葉を聞いた焔はしばし黙り込んで、ジッと私を見つめる。
そうして出てきた言葉は。
「・・・貴方の安全のためだ。早ければ早いだけいい」
――肯定、ですか。
「でも、いくら安全のためとはいえ・・・婚姻を結ぶというのはそう簡単に出来るものではありません。危険が伴う分、貴方は俺が全力でお守りします。だからもう少し時間をかけてお互いの事を・・・」
・・・ヤバイ。焔の言葉が、理解出来ない。
愕然とする私に焔は心配そうな眼差しを向け。
「萌、華・・・・?」
まだ少し言いづらそうにそう呼びかけてくる。
あぁ・・・どうせならちゃんと好きになった人と結婚したかったなぁ。
何を隠そう小さい頃の夢は「お嫁さん」。別に誰のってわけじゃないけど、あのウエディングドレスが綺麗で物凄く憧れてたのに。
そう言えばこの世界には当然そんなものもないんだよね?っていうか良く考えたら私、龍の花嫁・・・?もし万が一、子供が出来たとしたらその子は人間と龍のハーフ?
・・・・・・なんか、頭がくらくらしてきた。
「・・・・萌華!?」
全身から力が抜けて視界が暗くなり、最後に聞こえたのは焔のそんな叫び声だけ。
――再び私が目を開けたのは、あれからどれだけ経った頃なのだろう。
体のだるさを感じながらゆっくりと上体を起こす。
「萌華、お気づきになられましたか!?」
直後、隣からはそんな声が聞こえてきた。何だか頭が重くてゆっくりとした動作で振り向くと、そこには焔と暁の姿がある。
「あれ・・・私、」
言いかけて辺りを見渡すと、そこは1番最初に案内された部屋。私はふかふかのベッドに寝かされていたらしい。
「良い。お前はもう少し寝ていろ」
せっかく起こした上体を暁に抑え付けられて寝かされ、戸惑いながらも私はそれに従った。
何か・・・強引な人だな・・・・。
ぼんやりとそんな事を考えていた時、暁が相変わらず無表情に口を開く。
「焔から全て聞いた。お前の世界を奪ってしまった事は申し訳ないと思っているが、今更許してくれとは言わない。けれどどうか、俺達を救ってはくれないだろうか。理由は焔が話した通りだ」
無表情なその顔を、私はジッと見つめる。けれどやはり向こうの視線は不自然なほど私から逸らされている。
何だかちょっと、ムッとする。
不満を露にして見つめていると、向こうはその意味を取り間違えたようでちらりと1度だけ私に目を向けて言った。
「婚姻の件は急かさない。お前が納得して引き受けてくれるまで待つつもりだ。けれどそれが長引けば長引くだけ、己の身が危険にさらされる事を忘れるな」
・・・・私頼まれてる立場なのに、どうして命令口調なんだろう・・・。
そんな事を思いながら納得がいかず黙っていると「それから」と暁は焔に視線を向ける。
「焔、お前は萌華の守としてもう少ししっかりしてくれ。我が種族の存続がかかっているんだぞ?」
「申し訳ありません」
威圧感のある低い声で言った暁に、焔は深く深く叩頭する。
「ち、違うっ。焔が悪いんじゃないよ!環境が変わってちょっと体調が悪くなっただけだから!」
自分のせいで彼が怒られているのを見るのが嫌で、私は思わず言い訳をする。
その瞬間驚いたような焔と、相変わらず無表情で冷たい視線の暁に同時に振り返られて、思わずたじろぐ。
そりゃぁこんな美形二人に見られたら緊張するよ。
・・・いや、今そんな事言ってる場合じゃないか。
「あの、守(もり)って何・・・?」
何か言わないと気まずくて、思いついたのがこれだった。
さっきから何度か聞いているこの言葉の意味が、私にはサッパリわからない。
「・・・守というのは、姫と呼ばれる者に常について守る役職のものの事を言う。そして焔はお前の守だ」
簡潔に説明した暁の言葉は、それでいてとてもわかりやすかった。感覚的に言うなら、焔は私の護衛みたいなものだと思う。
「そうだったんだ・・・」
納得してそう言うと
「だから焔、お前はもっと萌華に気を配れ。何かあったらすぐ俺に知らせるんだ。分かったな」
暁はそういい残して、さっさと部屋を出て行く。
「え・・・」
あまりに突然の退出について行けず、戸惑いの声をあげた私に焔は申し訳なさそうに謝る。
「少しご無理をさせてしまったようで・・・本当に申し訳ありません」
「いいよ。焔のせいじゃないから」
無理矢理笑顔を作ってそう言うと、彼は少しだけ安心したように表情を緩める。
「それよりも、私の守なんかになっちゃって・・・いろいろ迷惑かけるかもしれないのに、ごめんね・・・?」
自分のせいで誰かが怒られるのは見たくない。この世界では、私はおとなしくしておいた方がいいのかもしれない。
それでも焔は柔らかく笑う。安心させてくれようとしているんだと思う。
「いいえ、貴方が心配されるような事じゃないですから。むしろ姫をお守りできるなんて、物凄く名誉な事です」
焔の言葉に思わず私は苦笑した。やっぱり私は姫なんて柄じゃないし、もしかしたら死んだものを蘇らせる力だってまともに使えないかもしれない。
でも・・・・・・
もしも本当に使えなかったら、私は一体どうなるんだろう・・・・・?
考えた瞬間、嫌な不安が押し寄せてきてそれを振り払うかのように私はぎゅっと目を瞑った。