...14

『・・・――か、萌華。』
 声が・・・聞こえる。ぼんやりとする頭の奥のほうで、とても懐かしい声が。柔らかく私の名前を呼ぶ、慈愛に満ちた声。それはきっと、私が今1番会いたいと思ってる人のもの。
『萌華、これは大事な話だからちゃんと聞いてね。』
 聞いてるよ・・・・――お母さん。
『人って言うのはね、一人では生きていけないの。』
 うん・・・知ってるよ。小さい頃から何度も聞いてたもん。
『だから人間は誰かと助け合って生きていくものなの。一人では何も出来ない。仮に出来たとしても、それは最高のものではないのよ。』
 聞きなれた台詞。小さい頃から繰り返し聞いた言葉。
 “だからね、”
 続きは確か、この言葉で始まる。
『だからね、萌華。あなたがもし誰かに裏切られた時や、独りになってしまったとき、辛い時はまず誰かを信じなさい。そうすればその人が、これから貴方の目標になる。目印になるのよ。』
 ふわりと柔らかく、優しく笑んで私の頭を撫でる手は、いつもとても温かかった。
『お母さんの言う事、分かるわね?』
 当時はまだ幼くて、きょとんとしている私に母は問い掛ける。
 言葉の意味は良く理解できなくても、なんとなく。本当になんとなく、その笑顔の意味はわかったような気がしたわたしは小さく頷いた。
『そう、それでいいのよ。貴方はこれから、強い子になりなさい。誰かを信じることの出来る心の持ち主に――』
 私を見て満足そうに笑った母は、その言葉を残すとゆっくりと私の前から消えていく。

 ――待って。

 そう言おうとしたけれど、声が出なかった。懐かしさと同時に込み上げてきたのは、言い表しようの無い胸の痛みと涙。
 待って。置いていかないで。
 手を伸ばしたけれど、そこにはもう母の姿は無かった。

 「帰りたい」その願いは、そんなに贅沢なものなの?

 私は独りぼっちでその場に立ち尽くし、ただ泣きじゃくった。


 つー、と流れた涙がこめかみの辺りを通って耳の中に侵入してきたその不快さで、思わず目が覚める。視界がぼんやりと霞んでいて、同時にキラキラと何もかもが歪んで見えた。
 あれは・・・・・・・・・・・夢、か。
 私はゆっくりと息を吐き出し、涙を拭おうとしたその時。

「やっとお目覚めですか?」
「・・・・・・・・ひゃぁっ!?」

 急に“ぬっ”としか形容の仕様が無い動きで唐突に視界に顔が現れた。
 窓から差す朝日を遮って私の上に影を落とすのは、少し釣り目の気の強そうな女の子。
 長い赤髪を後ろで1つに結っていて、見たところ私と同じぐらいかそれ以上の歳の子だった。

 ・・・・・・・って、何で見ず知らずの女の子が部屋に――!?

「えっ・・・・あのっ・・・・」
 しろどろもどろで私を見下ろす釣り目を見上げる。
 どうしよう。言葉が出ない。「何でここに居るんですか」とか聞いた方がいい?でも何かちょっと睨まれてるような気がしないでもない――
「萌華!!」
「姫!?」
 と、その時。勢い良く部屋の扉が開いたとともに、2つの声が同時に飛び込んできた。
 いきなり大声で名前を呼ばれた私はビクッと体を震わせ、開いた扉の方に目をやる。
「何があった――」
 少し息を荒げつつ、そう言ったのは暁。そしてその後ろには焔のすがた。
 姫、と私を呼んだのは焔の声だった。久々に呼ばれるそれはやっぱりしっくり来ないけれど、暁の手前私を呼び捨てにするわけにもいかないんだろうなぁ。
 ――と、そんな事を呑気に考えていると。

「・・・・風紫(かざし)・・・!?どうしてお前がこの部屋にっ・・・・」
 焔の、酷く動揺した声が聞こえた。
「あら、おはようございますお兄様。暁様」
 小走りで釣り目の女の子に駆け寄った焔に、女の子はさらりとそんな言葉を投げかける。
 ・・・・・・・・・・・って・・・・・・・・・・・・・・

 “お兄様”・・・・・・・・・・・・・!?

「あのっ・・・もしかしてあなたは焔の――」
「妹です」
 私の問いかけに、やっぱりさらりと答えたその子は
「今日から貴方の身の回りのお世話をする事になりました。風紫、と申します。どうぞよろしくお願いします」
 にこりとも笑うことなくそう言うと、深々と私に頭を下げる。
「えっと・・・・・・・」
 聞いてないよ・・・そんな事。
 どうすればいいか分からず、困惑して焔を見ると彼も同じく困ったように風紫さんを見つめる。
「俺だ」
 その時、背後からは低く太い声が響いてきて暁が私たちのところまで歩いてくる。
「俺が命じたんだ」
 そうして「文句あるか」とでも言うように無表情で私たちにそう告げる。
「さすがに年頃の娘が何もかも男に世話されるのは嫌だろう?守は今まで通り焔に任せるが、身の回りの世話は風紫に任せる。いいな?」
「う、うん」
 っていうか、そんな凄みのある声で言われると頷くしかないんですけど・・・・。
 恐々ベッドの上から暁を見上げると、彼は1つ頷いて風紫さんに体を向ける。
「それにしても風紫、いくら俺が命令したとは言え無断で部屋に入ったのは褒められたものではないな」
 暁が言うと、風紫さんは全く動じていないようで微かに眉をしかめると、
「あら、でもこんなにお目覚めの悪い方だとは思ってなかったの。ごめんなさい」
「風紫っ・・・!」
 焔が慌てて彼女に声をかけたけれど、暁は気にする風もなく溜息を1つついただけだった。
「全くお前は変わらない・・・。まぁいい。今後は気をつけろ。それから、萌華の事はくれぐれも頼んだぞ」
「はい」
 風紫さんが返事をして頭を下げると、暁はそのまま部屋から出て行った。
 後に残された私は今までの話について行けず呆然としていた。

 私の世話係らしき女の子は実は焔の妹さん。しかも何だか怖い。それにもっとビックリしたのは、風紫さんが暁にとっても砕けた喋り方をしていたという事。
 暁は王様なのに・・・・・・・・・何で?

「萌華」
 混乱する頭で色々考えていると、焔にそう呼ばれる。
 うん。やっぱりいつもの呼び方――名前が1番落ち着く。
「妹が失礼を・・・・・。申し訳ありません」
 彼は申し訳なさそうに顔を歪めると、深々と私に頭を下げる。
「いっ・・・いいよ別に!焔が謝る事じゃないよっ」
「あら、ではやはり私が謝ったほうがよろしいかしら?」
「風紫!」
 慌てて言った言葉が風紫さんは気に入らなかったようで、つんっとした顔で言い返される。
 こ・・・・怖い・・・。
「お前はどうしてそうなんだ・・・。ちゃんと立場を弁えろ」
「ごめんなさいお兄様。私、身分差別は嫌いなの」
「そう言う意味じゃないだろう!」
 と、突然始まった兄妹喧嘩。どうしていいか分からない私はただ二人の言い合いをオロオロと眺めるだけで、成す術もない。言いたいことを全部吐き出したらしい二人は少ししてからやっと静かになり、そこでハッと焔が我に返る。
「も・・・申し訳ありません」
 元から赤い肌が、より一層赤みを増した。妹さんにとことん言い返される焔は面白いんだか情けないんだか分からない。
「とりあえずこんな奴ですが、これからよろしくお願いします。妹が何かした時はすぐに俺か暁様に仰ってください」
「お兄様、そんな言い方しないでくださる?それよりも早く出て行って。萌華はこれから着替えるんだから」
 しっし、と手を払う風紫さんに、焔はくたびれた顔で仕方ないといった風に応じた。
 っていうか・・・あれ?今私呼び捨て――

「あ、呼び方ですけど。私まどろっこしい事は嫌いなの。見たところ外見年齢は私と変わらないし、歳は確実に私のほうが上だから呼び捨てでいいわよね?喋り方も普通で」
「あ・・・はい」
「はいじゃなくてうん、でしょ?お兄様の言う“上の身分の方”からそんな言葉で話されるの嫌いなの。私の事は風紫でいいわ」
「・・・・うん」

 風紫さん――じゃなくて、風紫は気持ちいいぐらい一気にズバズバっとそう言いきると大きく息を吐いた。
 何だか・・・・やっぱりこの人怖いかもしれない・・・・。でも悪い人じゃなさそう。何てったって焔の妹さんだし、それに曲がった事は嫌いな人みたいだし。

「そう言えば・・・」
 着替え中、ふと私の中に1つの疑問が生まれた。
「風紫はどうして暁とあんなに親しいの?」
 慣れない服を着せられながら尋ねると「どうしてそう思ったの?」と逆に聞き返された。
「えと・・・何ていうか喋り方が・・・・」
「馴れ馴れしかった?」
 ふっと冷たい笑みを浮かべた風紫に、慌てて首を横に振る。
「何か・・・仲が良さそうに見えただけ」
 そう言うと、風紫さんは動かしていた手を止めた。何か気に障ることでも言ったんだろうかと、心配になってきた私は風紫の表情を伺い見る。
 赤い釣り目が伏せられていて、どう見ても無表情のその顔。
「仲なら・・・良かったわ。暁が王になる前は小さい頃からいつも4人で居たから」
「4人・・・?王になる前・・・・?」
 わけが分からず繰り返すと、風紫は伏せていた目を上げてひたと私の双眸を見据える。

「私とお兄様と暁と――魏惟の事よ」

 その言葉が、何故か重く私に圧し掛かった。胸がドクっと大きく高鳴って、嫌な感じが広がる。
 この気持ちは――・・・・動揺?・・・・どうして私が・・・・?
「貴方は別の世界から来たから、この世界の事は分からないでしょう?誰が、どうやって王になるか、とか」
 風紫が私の顔を覗き込むようにそう言って、素直にそれに頷く。
「この世界ではね、みんなが王になる資格を持っているの。暁だって魏惟だって、私たちだって以前は普通の龍だった」
「でも・・・・じゃぁどうして今暁が王様に?」
「それは、暁に力があったからよ。戦う事の出来る、誰よりも優れたその力が」
 ・・・・・戦う事の出来る?
「前の王の血縁者とか、そう言うのじゃないの・・・・?」
「血縁者?そんなの関係ないわ。この世界では力があるものが王として認められるの。だってそうでないと“私たち”はいつ滅びるか分からないでしょう?」
 当たり前だとでも言うように風紫が眉をしかめる。どうしてそんなことが分からないの?そう言われている様だった。

 でも・・・・・そっか。そうだよね。ここは人間の世界じゃないから、いつ他の龍に襲われるかも分からないし。民を守る事の出来る力がある者が王として認められるのは当たり前。

「王は前の王が亡くなった後、闘いによって決められる。それが1番手っ取り早い力の確かめ方だから。暁はその闘いで悠々と勝ち上がって王の地位を手に入れたのよ。お兄様もいい所までいったんだけど一歩及ばなかったの」
「じゃぁ・・・・暁と焔は友達なの?」
「えぇ、勿論。もっとも、今のお兄様は上下関係とやらを凄く気にして暁ともよそよそしい話し方をするけれど」
 あぁ・・・・・そうか。だから焔と魏惟さんも接点があったんだ・・・・。
 何故か頭の片隅でそんなことを考えていると、風紫は無表情の中に何処か悲しげな色を浮かべて言った。
「貴方・・・・魏惟の事は知ってる?」
 ドクン、とまた大きく胸が高鳴った。
「うん・・・・知ってるよ」
 どうして魏惟さんの話が出るとこんな嫌な感じがするんだろう・・・・。動揺の意味が、分からない。
 平静を装って答えると、悲しげな表情を露にして風紫はまた目を伏せる。
「あの子は・・・・・いい子だったのよ。本当に。暁やお兄様の事が大好きで、優しい魏惟・・・・」
 速くなる鼓動を静めようとしたけれど、無理だった。
 次に風紫が顔を上げた時、嫌な気持ちが破裂してしまいそうだった。

「私はね、萌華。貴方の事が嫌いなわけじゃないの。ただ貴方よりも、魏惟が好きなだけ」

 ふっ、と悲しげな笑みを浮かべると、風紫はそれだけ言って部屋を出て行った。
 心の奥底を、見透かされているみたいだった。

 あの子は私の中にある気持ちに――・・・・・気づいてる? 


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