...15
風紫が私の前で表情を出したのは、初めて会ったその日だけだった。次の日からはもう無表情で、何故か努めてそうしているように見えた。
・・・・・・ううん、“何故か”じゃなくて理由なんてわかってるんだけど。本当は。
人の気持ちがいろいろ見えちゃう分、それに気づかない不利をしたり内心で気を使ったりするのは結構キツイ。
風紫は本当はとっても優しい子みたいだから・・・・だから魏惟さんのために、私に冷たくしてるんだ。
その姿がまるで、みんなから隠されて忘れられてしまいそうな彼女を独りで守ろうとしているようで。
どれだけ私が頑張ったって、焔や暁の心から魏惟さんが消えるわけは無いのに。
それでも風紫はそうすることでしか自分の気持ちを抑えられないんだろうなぁ。
・・・でもこの世界に来て初めて友達になれると思った女の子なんだけど・・・・・・。
「寂しい・・・・」
ぽつりとそう呟いて、ベッドの上の枕をぎゅっと抱きしめた。この世界に来てからもう随分長い。そのせいで、枕や服にはすっかり自分の匂いのようなものがしみこんでしまった気がする。
これがまた落ち着くんだなぁ・・・・・・皮肉な事に。
力のほうは毎日練習している甲斐あって、最初のころに比べれば強くなってきた。
・・・・といっても、私が出来るのはまだ本当に小さな傷を治すぐらいなんだけど。
どれだけ頑張ってみても大きな傷は完治したことが無い。ましてや生き物を生き返らせるなんてもってのほか。
みんなの期待には・・・・・・・答えなきゃいけないのに。
私は小さく溜息を漏らしてベッドから下りる。そうして窓の外の白みだした景色を眺めた。
“月が姿を見せるころ、力の練習を始めましょう。”
何気なく見上げた空に、うっすらと月が浮かんでいるのが目にとまった。同時に頭の中には焔の言葉が蘇る。
――今日こそは、必ず。
睨みつけるように月を見てそう心に誓った私は、早足で部屋を後にした。
空虚な白い空間が広がっていた。私はその部屋の中心にある台の上の鳥に手をかざし、必死で念じる。
初めて見た鳥とはまた別の、今度は羽に傷を負った白い鳥は羽ばたく事も出来ずにジッとしている。
痛いだろうに、可愛そうに。
どうかその痛みが少しでも早く和らぐように。元通りになるように。
私の両手に、力をください。
「・・・・・・・・・くっ・・・はぁっ・・・」
額に汗が吹き出したのと同時に、全身から力が抜けて私はその場に倒れこんだ。
「萌姫!」
それまで黙って私の後ろに控えていた焔が即座に駆け寄ってくる。
「大丈夫か?」
「ん・・・。いつもこんな感じだから。何か力はみなぎって来るんだけど体がついて行かないって言うか・・・まだタイミングが掴めないんだよ」
大きな手が差し出されて、私は有りがたくそれに掴る。顔を上げると僅かに表情を曇らせる暁が居たので軽く笑って言ってみる。
どうしてか分からないけれど、この日初めて暁が私の練習を見にやって来た。というかもしかしたらどれだけ力がついたのかチェックしに来ただけなのかもしれないけど・・・・。
「今日はもう終わりになさいますか?」
多少ふらつく足で立ち上がった私に、焔は心配そうにそう問い掛ける。
いつもなら体力の無い私はここでバテてるんだけど・・・・今日はダメ。少しでも早く、力を手に入れなきゃいけないから。
それだけが私の存在意義だから。
「・・・・・ううん、まだやれる」
本当は昨日まで無理だったことが、今日出来るようになるなんて思ってないけれど。
それでも今諦めると、私は一体何処で頑張ればいいんだろう。
「そうですか・・・。くれぐれもご無理はなさらないように」
「うんっ」
体を支えてくれる焔に無理矢理笑いかけた時、何処か難しそうな顔の暁が目に入った。
「暁?どうし――」
「・・・・萌華、これが何か分かるか?」
問い掛ける私の言葉を遮った暁は、難しい顔を無表情に変えて。
そうして静かな声で――腰に差していた剣を引き抜いた。
キラリと白い刃が目に入る。それはとっても鋭利で長い――・・・
・・・・・って。ど、どうして剣・・・!?
「な、にを・・・・?」
重そうな剣を軽々と振り上げた暁を見て、私は呆然と呟く。
――ワケが分からない。何でこの世界はそう突拍子もないことばかり・・・・・!?
もしかして私が無力だから・・・・役立たずだからもうここで始末しようって言う魂胆?だから今日練習を見に来たの?
・・あ・・・・・・・・・有り得ないとは言い切れない・・・・・・・・・。
「ごめ・・・なさ・・・・」
いろんな悪い可能性が頭の中でグルグルと巡って、出たのはそんな言葉。
たどり着いたのは、私が悪いという結論。
それなのに暁は、表情を1ミリも崩すことなく――
勢い良く、剣を振り下ろす。
「っ・・・・・!!」
もう駄目だと思った。本気でここで殺されるんだと思った。
私は瞬時に目を瞑って体を硬くする。それが何の防御にもならないと、頭のどこかで知りながら。
けれど襲ってくるだろう痛みは、いつになっても来ない。それどころか私の隣からは低く苦しそうな、かみ殺したような声が聞こえてくる。
・・・・・・まさ、か・・・・・・・・・・・・・?
一瞬にして全身から血の気が引いた。考えるより先に、自分の体が動いてしまう。
パッと顔を上げて横を見た私の目に飛び込んできたのは――
「え・・・・焔・・・・っ!!」
紅く血塗られた剣が、周りに点々と血痕を残して落ちている。赤黒い血を肩から流して、床に膝をついて荒い息を繰り返すのは焔の姿。
彼の顔面は蒼白で額には珠のような汗がたくさん浮かんでいる。眉根を寄せ、口を引き結ぶ姿からその傷の深さを想定するのは容易かった。
「ちょっ・・・・何で!?何で私じゃなくて焔に・・・・っ!!」
何も理解する事が出来ず、半ばヒステリックのように言って暁を見上げるけれど彼は相変わらず表情を崩すことなく、淡々と私たちを見下ろす。
あぁもう・・・・!!とりあえず今は・・・・焔を助けなきゃ。
「焔、大丈夫?痛い・・・痛いよね!?」
血が止まる事の無い傷口を直視するには勇気が居るけれど、今そんな事を言っている場合じゃない。早く止血しないと出血多量で死んじゃうよぉ・・・・!!
でも私・・・・止血するもの持ってない。それならここで力使う方が早いっ・・・・。
「今・・・・治すから!!」
どうか上手くいって。お願いだから、作用してよ!!私に力があるならちゃんと言う事聞いてよ・・・・!!
目をグッと瞑ると、耐え切れず両目からはボロボロと涙が零れ落ちる。
・・・嫌だ。今この場で、わけも分からないままこの人を失いたくない。
「助けたい」という気持ちよりも「恐怖」の方が強くて、言い表しようの無い嫌な感覚が全身を巡る。
ヤダ。怖い。
焔が居なくなれば・・・・・私はこの世界で誰を頼っていけばいいの・・・・?
「萌華」
その時。
急に名前を呼ばれて、背後から肩に手を置かれる。私はビクリと体を震わせ、ハッと我に返ると弾かれたように振り返った。
「見ろ」
無表情で顎をしゃくる暁を混乱する頭で呆然と見詰め、それでも彼が示した方向にゆっくりと顔を向けた。
「・・・・・・・成功、ですね。萌姫」
そこには、元通りの肩でまだ少し息の荒い焔の姿があった。
彼はいつもの笑みを浮かべながらそんな言葉を私に投げかける。
「・・・・・・成・・・・功?」
思考回路が遮断されそうだった。何も考えたくない。
――成功。
それはきっと・・・・・・・
「上手く・・・・いったの・・・・・・・?」
力が・・・・・・・働いた。
それを物語るように、焔の傍には未だに血塗られた剣が場違いのように落ちている。
でもこの様子って、まさか私・・・・・・・・
「謀(はか)ったの・・・・・・・?」
声が震えて、上ずって、かすれて。話した言葉がちゃんと伝わってるかどうかは分からないけれど、焔の顔が申し訳なさそうに歪んだ。
・・・・・・それはつまり、肯定?
「信じられないっ・・・・!!」
あれは・・・・私の力を無理矢理引き出すためのものだったんだ。
両目にジワリと涙が浮かんで、私はその場に膝を追って座り込んだ。
安堵と怒りと恐怖がない交ぜになって全身から力が抜ける。涙が止まらなくて、この白くて空虚な空間に私の泣き叫ぶ声だけが響いた。
「何で・・・あんなことするの!!私自力で頑張れたかもしれないのに!それにもし今のが上手く行ってなかったら焔はどうなってたの・・・っ・・・!」
「大丈夫だ」
「何で言い切れるの、焔だって痛かったでしょ!?」
キッパリと言い切る暁に私は思いっきり首を横に振る。
大丈夫、なんてそんな保障一体何処に・・・・・・・・
「萌華」
暁が、何か咎めるような口調で私の名前を呼んだ。
泣くな、と。そう言われたような気がして私はグッと涙を抑えて彼を見上げる。
「お前の周りには・・・何か殻があるように感じた。だからその殻を誰かがきっかけを作って破ってやらないと力は上手く働かないんだと、俺は思った」
「だからって・・・・何も焔をいきなり切りつける事ないでしょ・・・?それなら別に私だってっ・・・」
「駄目だ。龍である俺達と人間のお前とでは回復力に差が有りすぎる」
でも・・・・受ける痛みは同じでしょ・・・・・?
ジッと、半ば睨みつけるように暁を見上げていると不意に彼の表情が柔らかくなる。
「俺はな、萌華。お前を信用していたからこんな手荒な真似でも実行してみようと思えたんだ。俺に黙って切られた焔とてそれは同じ」
それは、今まで聞いたことも無いような穏やかな口調。急にしゃがみ込んだ暁が何をするのかと思えば――
「良くやった」
大きな手が、少し戸惑いがちに私の頭に添えられる。
直後、私の視界はぼやけてまた涙が溢れてきた。
今になって込み上げてくる恐怖と深い安堵が嗚咽となって漏れ始めるともう止まらない。
「助けてくださってありがとうございました」
心地良い声が耳に届いたと同時に、焔の柔らかい笑顔が目に浮かぶ。
――違う。私のために切られてくれた焔はお礼を言う必要なんて無い。
むしろそれを言わなきゃいけないのは私のほうなのに。
今はとてもじゃないけれど、何か喋られる状態じゃなかった。