...18

 白い空間が広がっていた。あの特訓部屋みたいに、見渡す限り全部が真っ白。ただ奥行きがどれぐらいあるのかは見当もつかない。無限に広がっているんじゃないかとさえ思えるそこで、私はポツンと立ち尽くしていた。
『萌華』
 ――と、何処からともなく声が聞こえてくる。それは優しく囁くような声で、小さくて注意しないと聞き逃してしまいそう。
『一人じゃ駄目だよ』
 あぁ・・・お母さんみたいな事言ってる。
 分かってるよ。私は一人じゃ何も出来ないって事ぐらい。だから焔や暁や風紫の力を借りてるの。
 ちゃんと・・・・分かってるつもりなのに。

 「一人じゃ駄目」、その言葉に少しくどくどしいものを感じてムッと顔をしかめる。相手の顔は見えないけれど、誰がどんな表情で私にそれを言っているのかが凄く気になって。
『萌華』
 もう1度名前を呼ばれて思わず眉間にしわが寄るのを感じた。
「・・・何?」
 ゆっくりと声に答えると、少しの間があって、

『一人じゃ・・・・無理だよ』

「・・・へ?」
 唐突にそんな事を言われ、眉間にはさらに深いしわが。
「無理ってな――」
『さよなら、萌華』
 ちょ・・・・
 ちょっと待てっ・・・・!!
 人に言いたいことだけ言っといて「さよなら」って自分勝手過ぎない!?
「まっ・・・」
 慌てて声のした方に手を伸ばすと、急に視界がぐるっと回転した。
「へ!?」
 わけがわからないまま、世界は180度姿を変えて。目の前は一気に白から黒に染まる。


「萌華!?」
 どすん、と鈍い音がして、同じように鈍い痛みが全身を駆け抜ける。
「った〜・・・・」
 何が起こったか分からないけれど、とりあえず「痛い」という感覚だけは鮮明だ。
 誰かが私の名前を呼ぶ声が聞こえたからゆっくりと目を開けてみると、ぼんやりとしていた視界がだんだんハッキリとして。
「・・・焔?」
「だ・・・大丈夫ですか、萌華」
 目の前には私を見下ろす格好で、唖然とした表情の焔の姿があった。
 そこでハッと我に返って勢い良く私は起き上がる。
「あれ!?何で・・・もしかして落ちたの?」
 辺りを見渡すと目線がいつもより低くて、ベッドは自分の隣。これはどう考えても落ちたんだろう。
 ・・・・自分が情けない。
「大丈夫ですか?お怪我は?」
「うー・・・ごめん。大丈夫・・・・」
 恥ずかしくて泣きたくなりつつも、屈んで手を差し出してくれた焔の好意をありがたく受け取る。こういう時、見た目は自分とそう変わらなくても紳士だなー・・・なんて思う。

 焔は私を立ち上がらせると、少し申し訳なさそうな表情で
「申し訳ありません、許可もなく勝手に部屋に入ってしまって。物音が聞こえたものでつい・・・」
「い、いいよそんなの謝らなくて!むしろありがとう!ちょっと変な夢見たみたいでさ・・・」
 何処までも忠実な焔の言葉に思わずこっちが焦って、けれど慌ててそう言った瞬間に自分が見ていたのは夢なんだと気づく。
 夢って言うのは不思議なもので、あとから思い返せば内容はおかしなものばかりだし、矛盾するところもあるのにどうしてかその時は気づけない。
 私だってさっきのあれが夢だ何て――思ってなかった。
 「一人じゃ無理」そう言った声は、今も鮮明に思い出せる。
「・・・焔・・・・」
 けれど思い出したと同時に、ここに来たばかりの頃と同じような不安がどっと押し寄せてきて。私は思わず、差し出された時に握ったままだった彼の手をより一層強い力で握りしめる。
 それからおずおずと焔を見上げると、

「私・・・・・一人じゃないよね・・・・?」

 そう問い掛けると、焔は一瞬不思議そうな表情をして、だけどすぐにふわりと優しく微笑むと。
「怖い夢でも見られたのですか?」
 そう言って手を握り返してくれた。

 ――あぁ、この優しい笑顔。落ち着くのに、どうしてこんなに悲しくなるんだろう。
 何でこんなに悲しい世界なのに、焔は人間より優しく笑えるの?
 私達は恵まれた世界にいたはずなのに、いつも何かを求めてて。恵まれているが故の“ない物ねだり”は返って自分たちを醜くした。
 だけどこの世界の、今この瞬間にも同じ仲間を失っているかもしれない彼等は。
 笑う術をまだ忘れていないどころか、決して希望を捨てようとしない。
 そしてその希望こそが、私で。
 いつも思っていたはずなのに。もし自分が誰かの役に立てるなら、それはどんなに素晴らしいんだろうって。
 それなのに今その力を手にした私は・・・・・一体何を迷っているんだろう?

 焔の優しすぎる笑顔を見ると悲しくなるのは、彼が何処か遠く感じられるから。
 あの夢を見て不安になったのは、まるで自分が独りぼっちのように感じられて孤独だったから。

 自分の気持ちの理由は、本当は全て知ってる。
 だけど焔に出会って、この世界に連れて来られてからずっと消えないモヤモヤの正体。
 それは――


「それでは萌華、そろそろお召し変えの準備を」
 優しく笑う焔に頷くと、それを見届けた彼は部屋を出て行って。
 その後姿を少しの間ぼーっと見つめながら、私は1つの気持ちを心の奥底に沈めた。

 モヤモヤとした心の正体、力を手にしてもまだ尚迷っている理由。
 それがきっと、追い求めるものが変わったせいだと言う事に気づいていながら、私は見てみぬふりをしていた。         


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