...19
モヤモヤモヤモヤ。
今日は自分の気持ちに整理がつかないまま、いつものように力の特訓をするべく例の部屋に向かう。焔は私の少し後ろをついて歩いてくる。2つの足音が交互に、静かなお城の廊下にカツカツと響いていた。
――と、不意に足音が1つ消える。
「・・・焔?」
不審に思い振り返ると、そこには何故か泣きそうな顔で立ち止まっている焔の姿があった。
「どうしたの?」
こんなに不安そうな焔の顔見た事ない。自分まで不安な気持ちになるのを感じながら、私は急いで彼に駆け寄った。
「萌華・・・・」
そうすると焔は、消え入りそうな声で私を呼ぶ。迷子になった子どもみたいに泣き出しそうで、どうしたらいいか分からない。そんな途方に暮れた表情をしていた。
「何かとても・・・・嫌な予感がするんです」
ポツリ、と彼は言葉を紡ぐ。さっきとは打って変わったその口調。まるで焔のその不安が伝染してきそうだった。
何か、呼吸がしづらい気がする。
「最初は気のせいだと思ったのですが・・・あの部屋が近づくに連れて胸騒ぎが大きくなっていくんです。何か起きるんじゃないかと不安で――」
「確かにそう言われるといつもとは違う気するけど、でも私はそんなに分からないよ・・・?」
「龍は人よりも敏感なんです。あなたが分からないのは仕方ない。けれどこの異様な空気は・・・・」
そう言って焔は俯いた。表情は完全に曇ってしまっている。今まで見た事のないようなその不安そうな表情を見ていると、本当に自分まで怖くなってくる。恐怖が自分の中に少しでもあると気づいた瞬間、急に五感が優れ始めた気がした。
そう言えば周りの空気が重さを増したような気がする。
そう言えば辺りが少し暗い気がする。
そう言えば何かに押し潰されそうな圧力を感じる。
そう言えば――
目に見えていた「幽霊」が、急に増えた気がする――・・・。
「えっ!?」
どうして今までこの異常な変化に気づかなかったんだろう。そう思って呆然としていると、急に強く腕をつかまれて思わず声を上げる。
だけど、私の腕をつかんだのは焔じゃない。今力任せに私を引っ張っているのは、自分よりも少し幼いぐらいの男の子。その子の力があまりにも強いものだから、私はその場に留まっている事が出来ずに男の子に引っ張られるままに走り出した。
「萌華?」
急に走り出した私に、後ろからは驚いた様子の焔の声。
「ごめん焔!私今引っ張られてるの!!」
「引っ張られてる?」
だんだんと開いていく距離を埋めるために焔も私について走ってくる。私はただ男の子に誘導されるように走りながら、そう説明した。だけど焔の返答は不思議そうなもので、やっぱり彼には男の子が見えていないんだと悟る。
きっと、今私を引っ張っているこの子は幽霊なんだ。
だけど不思議な事に、男の子は私に助けを求めてこない。それどころか私達をどこかへ誘導するようにただ走る。
・・・・いや、違う。
どこか、じゃなくて私は気づいてる。
彼が向かっている先に、例のあの部屋があるということに。
焔の言ったとおり、本当にあの部屋が近づくに連れて嫌な感じは大きくなっていく。息苦しくて怖くて、今にも元来た道を引き返したい衝動にかられた。
だけどそれでも、男の子が足をとめることはなく。結局あっという間に、私達は予想通り特訓部屋の前まで来てしまった。
それほどの距離があったわけでもないのに息が上がる。はぁはぁと荒い呼吸をして酸素を取り入れようとしたけれど、嫌な空気を吸い込んだような気がして余計気分が悪くなった。私達について走ってきた焔の額にはうっすらと汗まで浮かんでいる。
「焔、大丈夫?」
心配になってそう問い掛けると、焔もまた荒い呼吸をしながら軽く頷いた。だけど再度男の子に強い力で腕をつかまれ、私は思わず顔をしかめる。
「な――」
何、と訊ねようとすると、男の子の口が「あけて」と動いたような気がした。その証拠に彼は部屋の扉を指差す。
「・・・・分かったよ」
嫌だけど。理由は分からないけどその先に何かありそうでとてつもなく嫌だけど。それでも私は仕方なく扉を開く。
――と、そこに立っていたのは暁。
「あれ、暁――」
先に彼が来ていた事に驚いて思わずその名前を呼ぶと、彼はゆっくりとこちらを振り返って――・・・・一瞬、その顔が酷く歪んだように見えて怖くなった。
だけど少し視線をずらすと、その恐怖を消し去るものが私の目に飛び込んでくる。
――声が、出なくなった。
「暁様がいらっしゃるのですか・・・?」
背後からは少し苦しそうな焔の声が聞こえてきて、彼もまた私と同じように部屋の中を覗き込むと。
「魏惟・・・・・・・様?」
私の視線の先にあるものを見つけて、ポツリとその名前を零す。
「萌華、焔」
驚きのあまり声が出ず、呆然と部屋の入り口で立ち尽くす私達に暁がそう呼びかける。その声がいつもより低くて、どこか遠くで聞こえたような気がした。
それでも焔は、少ししてからフラフラと夢遊病者のように部屋に足を踏み入れると。
「暁様、これは一体――」
そう言いながら魏惟さんの方に歩いていく。
いつも傷を負った鳥や動物の死骸が乗せてあるはずのその台に、今日は魏惟さんの姿があって。私はすぐにこの状況を飲み込む事が出来ず、焔に続いて彼女の元へ歩み寄っていく。
魏惟さんの傍らに立っていた暁は、そんな私達を見て少し俯くと、
「勝手な事をしてすまない、焔。それから萌華。お前には昨日から急な事ばかり言って本当に申し訳ないと思っている。だがお前はもうそろそろ蘇生の実践をしてもいいはずだ。だから――頼む。魏惟を・・・・魏惟を助けてやってくれないか」
――それは、とんでもなく唐突な言葉だった。
いつかはこの日が来ると分かっていたけれど、あまりにも急な暁の言葉が信じられず無意識のうちに私は首を横に振っていた。
「む・・・無理だよっ・・・!だって私、力だってまだまだ未熟だし蘇生なんてやった事ないし、それに――」
知らない間に何か理由を探す。「出来ない」と、そう断る理由を。
だけど、暁だって一歩も引かない。
「もちろん最初から上手く行くなんて思っていない。だからせめて、試してみてくれるだけでいいんだ。頼む萌華。俺はもう・・・・耐えられないんだ」
暁はそう言って、ガックリと頭を垂れる。私はどうしたらいいのか分からず、ただ魏惟さんと暁を交互に見比べていた。
「萌姫」
すると不意に、焔が小さく私の名前を呼んで。
「俺からもお願いします・・・。急な事で驚かれる気持ちはよく分かりますが、いつかはこの日が来るんです。――大丈夫、貴方なら出来る」
そう言って、安心させるようにそっと手を握ってくれた。だけど焔の手は少し湿っていて、呼吸もまだ荒い。きっとこの部屋にいることが、私なんかよりずっとずっと辛いんだろう。それでもこうして私を勇気付けてくれる。
――甘えてばかりじゃ駄目だ。
「・・・・分かった。やってみる」
喉の奥から声を絞り出す。私は心を決めた。
「怖い」って、そんな理由でいつまでも逃げてちゃ結局何も成長できてないんだ。
「・・・本当か?やってくれるのか、萌華!?」
瞬間、俯いていた暁が勢い良く顔を上げる。彼の目は病的なほど何かに飢えていて、それが魏惟さんだという事はすぐに分かった。真紅の瞳は、その奥深くにずっと孤独を隠し持っていた。
最初から気づいていたはずなのに。どうして自分は今まで何もしてあげられなかったんだろう。
例えば一緒に泣いてあげるとか、出来たら一緒に笑うとか。私の世界の話を聞かせて、暁にこっちの事をもっと詳しく話してもらっても良かった。きっとそれだけで孤独は幾分も薄らいだはずなのに。
自分のことしか考えてなくて・・・・・ごめんね、暁。
大丈夫。きっともうすぐ、淋しくなくなるから。
「魏惟さん・・・・」
返事をするはずがない彼女に小さく呼びかけて、心臓辺りに自分の手をかざしてみる。やっぱり死んでいるなんて思えない綺麗な顔を見て、これがもし笑ったり怒ったりしたらどんな風になるんだろうなんて想像しながら、私は全ての神経を自分の手に集中させた。
想像するんだ。魏惟さんが生き返って、暁が笑って。焔も風紫も、みんなが喜んでいる場面を。
――そう、思った瞬間。
今まで感じたこともないほど物凄い量の力がどっと溢れてくるのが分かった。自分じゃコントロール出来そうになくて、膨らみすぎた風船みたいに皮膚を突き破って力が外に出てくるんじゃないかと思った。
ヒュウ、っと空気を切る風の音がする。いつしか私の周りに竜巻のようにそれが出来ていて、髪や服はいろんな方向になびいていた。
・・・・あぁ、これは力が大きくなっている証なんだ。
頭の片隅でそう思いながら、私は魏惟さんに手をかざし続ける。神経を集中させているそこは徐々に熱をもち始めていた。
――風の音がする。
今私の耳に入ってくるのは、ただその音だけ。
・・・お願い。
起きてよ魏惟さん。私の存在意義は今あなたや他の人たちを蘇らせる事なんだよ。
喜んでもらいたい。孤独から暁を救い出してあげたい。
みんなの期待に答えたいんだよ。
だから。
目を覚まして、魏惟さん。
「――きゃぁっ!?」
と、急に私を取り囲んでいた風が向い風のように吹き付けてきた。あまりの突風に、私は呆気なく後ろへ倒されて派手に転ぶ。
「大丈夫か、萌華!?」
思いっきり床に体を打ち付けて、その痛さに顔を歪める。倒れた拍子に後頭部まで打ったみたいで頭がボーっとする。
それでも暁が駆け寄って、助け起こしてくれたのは分かった。
「お怪我は!?」
焔の声がする。彼もまた、暁と同じように私を支えてそう心配してくれた。
ここは一言大丈夫と言いたいところだけど・・・・・。
「ごめ・・・・何か私、変――」
急に膨大な力を使ったせいか、それともまだひ弱な体がついて行けていないせいか。
理由は分からないけれど、力を使い終わった途端に体が鉛のように重くなって、大量の汗が全身から吹きだす。おまけに視界はせまくなって今目に移る全てがテレビの砂嵐みたい。
周りがハッキリ見えないよ、焔。
「ところで・・・・魏惟さんは、どうなったの・・・・?」
息が上がる。ハァハァと吸ったり吐いたりを繰り返しながら、私はそう問い掛けた。
・・・・あれ?そう言えば、不思議ともうあの嫌な感じがしない。それに私をここまで引っ張って連れてきた男の子は何処に行ったんだろう。
「っ!!魏惟!」
と、そんな事を考えていると私の一言で暁は弾かれたように立ち上がる。そうして一目散に魏惟さんの方へと駆け寄っていった。
「魏惟、魏惟――!!」
それから彼は、まだ起き上がる気配のない魏惟さんに必死に呼びかける。
・・・・やっぱり、上手く行かなかったのかな・・・・。
「焔・・・・私もあそこに連れてって」
「はい」
大分呼吸は落ち着いてきたけれど、体は思うように動かない。焔にそうお願いすると彼はすぐに私をお姫様抱っこして。
普通なら赤面しているところだけど、今はそんなこと言ってる場合じゃないし何より気力がない。焔の腕の中でぐったりとしながら、私は魏惟さんのところまでおとなしく運ばれた。
「魏惟さん・・・」
そうして彼女の元まで連れてきてもらって、そっと名前を呼ぶ。
「お願い、起きて・・・・」
冷たい、だけどとっても綺麗な手をきゅっと握ってみる。もう片方の手は暁がしっかりと握り締めていた。
念じるように、私は呼びかけてみる。
――その時だった。
「・・・・・え?」
ピクリ、と。僅かだったけれど、魏惟さんの瞼が動いたような気がして。
「魏惟さん!?」
その変化を見逃さなかった私は、急いでもう1度彼女の名前を呼ぶ。無意識のうちに強くその手を握り締めていた。
「魏惟!?聞こえてるか?起きろ、起きてくれっ!!」
暁も必死に魏惟さんに呼びかける。
――ピク。
もう1度、今度はハッキリと瞼が動いた。
「魏惟様――」
そして焔が呟いた直後。
それはまるで、スローモーションのような光景だった。
今まで痙攣しているかのように動いていた瞼がゆっくりと持ち上がって、姿を現したのは透き通るような色素の薄い、綺麗な赤。
魏惟さんが目を開けた。
「魏惟・・・・っ」
暁は待ち望んでいたその光景を前にして、喉の奥から搾り出すように、噛み締めるように彼女の名前を呼ぶ。私は自分の力が上手く働いた事が信じられず、ただ呆然と、けれど安堵に包まれて全身から力が抜けるのを感じた。
――だけど、それは一瞬にしてかき消される。
「あなた・・・たち・・・・だ、れ?」
初めて聞いた、魏惟さんの声。イメージどおり透き通るような、それでいて柔らかい綺麗な声。
それなのに、向けられた言葉はあまりにも残酷で。
言葉の意味が瞬時に理解できなかった私。体だけは正直で、一瞬にして血の気が引いていくのが分かる。
状況が飲み込めないまま、ただ1つ確信に近い状態で頭に浮かんだ一言は。
―――・・・・・・失敗。
「!――萌姫!」
ぐらりと視界が回転して、それと同時に体のバランスが取れなくなった。焔が私を呼ぶのが聞こえた。それも酷く遠い場所で。
わけの分からないまま。
私はそのまま、ブラックアウト。