...22

「・・・だれ・・・?」

 その声で、ハッと我に返る。真紅の瞳がこちらをジッと見つめたまま、想像通りの透き通った声でそう問いかけてきた。
 よく見ると、魏惟さんは簡素なデザインの服を身にまとい、白くて清潔そうなベッドの上に上体を起こして座っていた。そしてその傍らには、まるで番犬のようにこちらを警戒している風の風紫。少し、やつれているように見える。目も赤く腫れていた。
 ・・・・きっと、私がいっぱい泣かせたんだ。
「わ――」
「魏惟、彼女が萌華だ。説明しただろう?お前を生き返らせてくれた人だ」
 問いかけに答えようとした瞬間、暁が低い声でそれを遮った。それは初めて出会った頃のような、抑揚のない覇気も感じられないもので。
 胸の中に形容しがたい何か澱んだものが渦を巻く。心がとても重く感じられた。

 ――罪悪感。その言葉が、きっと1番ピッタリ。

 未だ開け放たれたままのドアの向こうには、さっきまで重苦しいと感じていた薄暗い廊下が続いている。それでもこの部屋に比べるとそんなもの可愛いものに思えて、今すぐもと来た道を引き返したい衝動に駆られた。けれど、それをグッとこらえて私は窺うように恐る恐る暁に目をやる。
 暁の目は、見ているこっちが悲しくなるほど空ろなものだった。綺麗な赤いガラス球みたいに、そこに何も映していない。
 それはまるで現実を、見ようとしていないかのようで。
 そう思った瞬間、今度は激しい怒りが湧き上がってくる。
 誰に対して?何に対して?
 自分?それとも暁?

 ――分からないけれど、とにかくむしゃくしゃする。

 それを堪えるためにグッと拳を握ると、不意に魏惟さんが頷いた。そうして触れれば割れてしまいそうな、そんな脆いガラスのような声で言う。
「そう。この方が萌華というのね。えぇっと――・・・」
 それから空ろな表情のまま暁に目をやる。それに気づくと、彼はふっと悲しげに笑って、
「・・・俺は暁。お前の兄だ」
「あ――・・・そうでしたわ。“オニイサマ”」
 それは確かに美しい声ではあったけれど、丸きり機械のように魏惟さんは暁をそう呼んだ。その瞬間暁の表情にいっそう陰が落ちる。何もかも諦めたように、彼は笑う。
 ――やめて。そんな顔で笑わないで。

「魏惟さん」
 耐え切れなくなって、私は思わず彼女の名前を呼ぶ。その瞬間、全ての視線が私に向けられた。
 魏惟さんの空ろな瞳と、その後ろから窺うようにジッとこちらを見つめる風紫。彼女の赤い瞳が、まるで怒りの色に染まっているようで――怖かった。
 それから、これから何を話すんだとでも言うような暁の瞳。私の後ろに居る焔のものはどうか分からない。信じてはいるけれど、何となく想像するのが怖かった。勿論彼も、魏惟さんのことを気にかけていたうちの一人だったから。
 ・・・だけど。

 もう逃げないんだ。

「私の事は、どこまでお聞きになりましたか」
 おっとり、というか。寝起きのようにボーっとしていると言う表現のほうが相応しいかもしれない今の魏惟さんに、私は一言一句丁寧にそう尋ねた。
「さぁ・・・・・どこまでだったかしら。・・・お兄様?」
 ぎこちなくそう言うと、魏惟さんは軽く首をかしげてまた暁を見やる。
「とりあえずお前がここに連れてこられた経緯と理由は話した。それから、それが魏惟自身にも関係していると」
 暁は魏惟さんの答えを引き継いで無表情に私にそう言った。
「・・・そう」
 ・・・なら、話は早い。

 私は覚悟を決めて、魏惟さんの赤く透き通った綺麗な双眸をしっかりと見据える。
「私は・・・・私自身は、今自分が持っている全ての力を出し切って貴方を生き返らせたつもりでした。だけど、やっぱりまだまだ未熟だったようです。そのせいで貴方をこんな目に合わせてしまって・・・本当に本当にごめんなさい」
「謝って・・・済むことじゃないわ」
 ――と、震えた声を搾り出すように風紫が言った。今にも泣き出しそうな顔で私を見つめて。
「・・・うん。わかってる」
 けれど私も怯まずに、あえてジッとそれを見返す。ちゃんと向き合わないといけないと、そう思ったから。
「・・・じゃぁ何なのよ!何でそんな意味も無いことをするの!?」
「やめろ、風紫」
 私の言葉で歯止めが利かなくなってしまったようで、風紫は噛み付くようにそう言った。すると、宥める様な焔の声がそこに割って入る。けれど風紫はギリ、と唇を噛むと今度は精一杯焔を睨みつけた。
「嫌よ!!お兄様だって、本当は悔しいでしょう!?どうして魏惟なの!?この子が何か悪い事でもしたの!?・・・何でっ・・・!!」
 そう言うと、堪えきれずに風紫はその場に泣き崩れて、

「思い出してよぉ・・・・魏惟!!」

 胸を締め付ける哀願が、ガランと悲しい部屋に反響した。風紫のその一言で、それまで無表情だった暁も思わず俯く。
 ――けれど。


「どうして・・・・・・・泣くの?」


 そんな中、そこにはあまりにも不似合いな可愛らしい声が何の悪意もなくただ疑問だけを持ってしてそう問いかけた。
 一瞬、部屋がシンと静まり返る。
「・・・・魏惟?」
 暁がゆっくりと顔を上げ、不安げに彼女を窺い見る。けれどきょとん、として首を傾げながら魏惟さんはもう1度問いかけた。
「ねぇ、どうして?お兄様」

「・・・・・分からないのか・・・・・・?」

 深い絶望に満ちた暁の声が、胸に重く圧し掛かる。
 もしかして・・・・・・もしかして。
 ――嫌な予感が、止まらない。
 すると、おそらくは私と同じ考えに行き着いた風紫が顔色を変えてハッと息を呑み。
「ねぇ魏惟、悲しいって・・・・そう言う感情は、分かるわよね?」

 風紫の言葉が、核心に近づく。

「辛いって、分かるわよね!?嬉しいとか、幸せとか、楽しいとか・・・・!」




「・・・なぁに?それ」




 ――・・・・あぁ。
 どうしてこんなに、底無しみたいに闇は深くなるんだろう。

「感情まで・・・・・・欠落している・・・・・?」

 ポツリと、焔が呟いた。
「・・・・・・もう嫌ぁっ!!」
 暁が、大きく目を見開く。
 風紫が狂ったように泣き叫ぶ。
 ・・・・ねぇ焔、今あなたは、どんな顔をしてる?あいにくここからじゃ、私の後ろに立ってるあなたの表情は見ることは出来ないけれど。

 ・・・お願い。
 どうか、見せ掛けでもいいから。

 諦めないでくださいって、私に優しく微笑んで。                   


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