...24

 守って言うのは、姫を守るためのもの。私は確かに、この世界に連れてこられたばかりの頃焔にそう説明された。さすがに敵は相手の土地に乗り込んでくるような事はないけれど、それでも安心は出来ないから。だから常に守られているのだと私自身もいつの間にか納得して馴染んでいたし。
 ――だけど。
 ・・・ちょっと待って。守の居ない姫って何?焔が離れるって・・・・どういうこと?

 わけが分からずただ呆然としている私の隣では、焔も同じように至極複雑な表情で暁を見つめていた。
「暁様・・・それはどう言ったご意思で――」
「いいか、焔。預言者の地と言うのがどれほど神聖な場所かと言う事はお前も十分分かっているだろう?」
 不安げな焔の言葉を遮り、なだめるように暁は言う。それに焔は「はい」と小さく頷くだけ。暁が何を言いたいのかはまだサッパリ分からなくて。
 それと守を外すっていうのにはどう言う関係があるんだろう。
 そう考えていると、暁が再度口を開いた。
「だからだ。もし萌華がそこを訪れると言うなら、王である俺も同行しないわけには行かないだろう。しかし王である俺が城を離れ、またお前までも守として萌華に同行すると言うなら――魏惟を一体誰が守ってやれると言うんだ?」
「あっ・・・・」
 そこで初めて、守られている者が自分だけではないのだと気づく。思えば私なんかより魏惟さんの方がよっぽど華奢で、本当にちゃんと守ってあげないとすぐに壊れるガラス細工のようなのに。
 ――そこまで頭が回らなかった。思わず感心して暁を見つめてしまう。
「俺の代わりは居る。後の事は宰相に任せて、出発前は出来る限り城を厳重に警備しておく。敵がどんな動きをとるかも分からないから、最果てにつけている見張りも強化しておこう」
 そう言うと、「だから」と暁は言葉を続けて。

「焔、お前は魏惟の守についてもらう」

「・・・・・・え?」
 思わず、声が上がる。
「ちょ・・・暁っ。それじゃぁ私の守は――」


「俺が、今日からお前の守になろう」


 ・・・・・・・・・・・は?
 暁が守?王様なのに私なんかの?

 ――マジですか・・・!?

「そんな、暁様・・・・!」
 急な展開について行けず呆然とする私と、酷く驚愕した様子の焔。彼もまた私と同じように、自分が私の守につくといった暁に驚いているんだろう。
 王――つまり、この地で最も強い力を持っている人物が、たかが一人を守るためにこの場を離れる。それってきっと、私が考えているよりはるかに危険なことで。もしそんな時に大きな争いごとが起きたりしたら、それを鎮められる者が居ないかもしれないという事だから。
 それなのに、暁は。

「魏惟の守は不満か?」

 私――多分焔も――が考えて居たこととは全く異なる問いを焔に投げかける。それも、何か含みのある笑みを浮かべながら。面白がってるとか、そう言うのじゃなくて――私には到底読み解けない、切なさや懐かしさを含むその笑み。それに何とも言えない違和感を覚えた私は、思わず焔の表情を窺ってしまった。
 だけど、見てから後悔する。
 何で。どうしてこんな所で焔は、

 泣きそうな顔をしてるんだろう。

「・・・・いえ、仰せのままに」

 それでも彼は、すぐにその表情を掻き消すと固い声音でそう答えた。
「と言うわけだから、短期だがお前は俺が守る。いいな?」
「・・・あ、うんっ。お願いします・・・」
 ――私だけが、おかしな感覚に囚われたまま。自分が入り込めない場所を知って、世界が遮断されたような感覚に陥る。そこでボーっとしていると、暁のその言葉で現実に引き戻された。慌てて頷くと、彼は微かに微笑んで、それから魏惟さんを振り返る。
「魏惟、これから俺は城を空ける。お前は困ったことがあればそこに居る風紫やお前の守としてつけた焔に何でも頼れ。いいな?」
 魏惟さんは空ろな目を暁に向け、少し首を傾げる。感情と記憶が欠落している彼女が、何を不思議に思うのか私には分からないけれど、
「大丈夫よ、私もついているし、それに何よりお兄様がついてくださるんだもの。絶対心配いらないわ」
 風紫は魏惟さんの頭の中が全て見えているようにそう囁く。そうすると魏惟さんは、「焔?」とその言葉を理解しようとしているように繰り返した。その姿が、女の私から見ても言葉に出来ないほど美しくて。
 何も、汚れすらも知らない。生まれたばかりの真っ白なままの花のよう。そう、思わず「守って」あげたくなるような。
 思わず私が彼女に見入っていると、隣で焔が動く気配がした。そうして彼はゆっくりと彼女のもとまで足を進めて行き――

「全力で貴方をお守りします。何なりとお申し付けください、魏惟様」

 そこにひざまづいて、叩頭。
 たったそれだけ。本当に、そんな些細な事なのに。
 胸の奥がきゅぅっと掴まれたような感覚。思わず泣きたくなるような、それで居てどうしようもなく腹立たしくて――

 あ、れ?

 どうして今私・・・・そんな事思ってるんだろう。魏惟さんは守られて当然の人なのに。焔だって私の所有物じゃない。それが仕事だから仕方ない。・・・・・仕方ないんだよ?
 なのに、何で。

 最低だ、と自分自身に毒づく。自己嫌悪に陥って、どうしていいか分からなくなった。

 今でも呼べば振り返ってもらえるんだろうか。
 今でも手を伸ばせば触れていいんだろうか。
 何か言ってもらえれば、こんな気持ち消えるんだろうか。

 そんな想いで無意識のうちに焔を見つめていると、その時不意に振り返った彼とバッチリ目が合って、

 無言で微笑まれた。

 まるで、小さな子供を安心させるようなその笑み。「俺が居なくても暁様がついてくださるから心配ありませんよ」と、思わずそんな言葉が想像できる。
 あぁ、もう。女心が分かってないなぁ・・・・。
 自分の気持ちもまだ良く分かっていないくせにそんな事を思いながら、思わず私も諦めて笑ってしまった。自分の中のドロドロした気持ちは、まだ消えていないけれど。

 ――仕方ないから。これでいいんだよ。

 自分にそう言い聞かせて、その場をやり過ごした。どっちにしろ今の私には、どうすることも出来ないから。


*



「あの様子からすると、風紫も何だかんだ言いつつお前を信用しているようだな」
 魏惟さんの部屋を暁と風紫と三人で後にして自室に向かう途中、暁がポツリと言った。因みに風紫には別の仕事があるから途中で別れたけれど。
「えっ?」
 突然のその言葉に驚いて暁を見ると、彼の穏やかな横顔が目に入った。暗い廊下の灯火に照らされたその表情は何処か神秘的にさえ見える。
 あぁ、やっぱりこの人は誰も敵わないほど綺麗だなぁ・・・。
 ぼんやりとそんな事を考えていると、急に「すまなかったな」と謝られる。
 え?ともう1度繰り返した私に彼はその穏やかな表情を向けた。
「王である俺があんな態度をとってしまって申し訳なかった。お前を傷つけるつもりはなかったのだが、そこまで配慮する余裕が無かった自分が情けない」
 あぁ・・・・そんな事まだ気にしてたのか。そう納得しつつ、あの時の焔の言葉が蘇る。
 「守である俺の前でこの方を傷つけないで頂きたい」――それは今の私には、多分向けてくれないだろう言葉で。
「全然、気にしてないから」
 じわじわと襲ってくる不安を掻き消すように笑って暁に答える。

 どうしたんだろう。焔が自分の守から外されるのはほんの少しの間だけなのに。
 ――もう自分の元には戻ってこないような、そんな気がして。

「あぁ、そう言えば出発前に皆に報告しておかなければな・・・・魏惟が蘇ったと」
 と、一人闇に落ちかけていると暁のその言葉が私を現実に引き戻してくれた。
「報告?」
 不思議になって尋ねると、彼は少し苦い表情を浮かべた。
「実は伝染病で魏惟が死んだ時、怖がった臣下を安心させるために俺はあいつを“葬ったふり”をしたのだ。偽の人形を作らせ、それを埋葬し――。だがどうして自分が助けてやれなかった妹をそうやすやすと手放せるだろう?俺は出来なかった。だから魏惟をあの部屋にそのままにしておいた――そう、それを知るごく僅かな者にその姿を保つ呪を施させて」
「うそ――!?」
 それってまさか・・・・・何も知らないお城の人たちがばったり魏惟さんに出くわしたりしたら物凄いパニックになるって事じゃないの!?
「あ、まさか部屋を出る間際に焔に『魏惟は絶対部屋から出すな』って言ったのはそのせい!?」
「まぁな」
「まぁな、ってそんな軽く答えてる場合じゃないよ・・・!」
 ふっと蘇ったつい先ほどの暁の言葉。あの時は単に魏惟さんを出歩かせるのはまだ危険だから、だからここに居るように見張っておけってそう言う意味だと思ってたのに。
 全くなんで・・・・・こんなところで王様はマイペースなんだろう・・・・。
 そう思いつつ、思わず溜息を漏らすと不意に暁の表情が翳った。
「だが・・・伝染病とは言うが俺はそれなりにあいつの側に居ても何とも無かったんだ。100人居れば100人ともにあれがうつるわけではない。多くのものが感染するのは確かだが、感染しないものも居るのだということをしっかりと伝えて今まで隠してきた事実を話さなければならない」
「うん・・・・・・そうだね」
 小さく彼の言葉に頷いた後、ん?と私の中で何かが引っかかった。

 そう言えば伝染病って、今はもう平気なんだよね?終わったんだよね?
 ――じゃぁそれはいつから?どうして、何が理由でその病原体は絶えたんだろう?

 感染するものも居るけれど、感染しないものも居る。そう言った暁の言葉とも合さり、また1つ謎が増えた。
 ・・・・・いいよ。この際、全部全部神にも値する預言者って人に問いただしてやろう。
 私は一人意気込んで、ぐっと拳を握り締める。もう後には引けないんだと、そう自分を追い込んで。


 その時頭の片隅、そう本当に片隅にあったもの。
 二人きりで残してきた魏惟さんと焔が今どうしてるかなんて、そんなものには気づかないふりをした。  


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