...26

「・・・ところで、あなたは一体誰なの?私の知り合いだったの?」
 感情のない瞳がジッと焔を見つめる。魏惟はふとそんなことを尋ねた。
 ――あぁ、本当に何もかも忘れていらっしゃる。
 焔は切なげな笑みを彼女に向けた。周りばかりを過去に囚わせる無垢な姫君。彼女が悪いわけではないと分かっているけれど、そんな事を聞かれるとどうしていいか分からなくなる。
 ――長い間行き場を失っていたこの想いを伝えれば、何かが変わるのだろうか。
 魏惟に対する罪悪感も、萌華に対する後ろめたさも。この想いを口にさえすれば、それがなくなるとでも言うのだろうか。
「ねぇ」
 魏惟がゆっくりと、けれど急かすように彼の瞳を覗き込む。

 “ねぇ、焔。
 あなた本当は、嘘ついてるでしょ?”

「・・・っ・・・」
 思わず、過去と重なった。
 見つめる瞳はあの頃とは全くの別物で、今目の前に存在している魏惟は記憶を失っているはずなのに。それなのにやはり彼女は彼女なのだ。自然と人の虚心を読みとり、また、見透かす。
「貴方には・・・勝てません」
 ふっと、焔は諦めたように笑みをこぼした。そしてすっと立ち上がると、唐突に彼女の足元にひざまずき、

「俺はずっと――貴方様をお慕い申し上げてきました」

 それは、長い間彼の中にしまい込まれてきた嘘偽りない想い。
「した、う?」
「想いを寄せているという事です」
 その感情が分からないとでも言うように首をかしげる魏惟に、焔は分かりやすく説明しなおした。
 魏惟と初めて会ったのはまだ幼い頃。両親を戦いで亡くした直後のことだった。荒れ果ててしまった街中を散策するために風紫を置いて出かけ、帰ってきてみると彼女がいた。
 光のような人だと思った。
 その頃はまだ先王が生きており、暁もただの龍だったのだ。焔や風紫と同じように平民で、同じように両親を亡くしていた。
 それなのに魏惟は希望に満ちた目で笑う。兄が次の王になると信じて疑わなかった。
 数年後に王が亡くなり、次の王を決める戦いでそれは現実のものとなったのだけれど。
 そして後に焔も城で彼に仕えるようになり、魏惟の護衛を任された。だんだんと彼女に心惹かれてはいたものの、近くて遠い存在になってしまった魏惟にその想いを伝えることははばかられ、そうこうしているうちに彼女は奇病に侵された。結局焔の想いはそのまま叶わぬものと――・・・なるはずだった。

 だが、魏惟は生き返った。記憶と感情が欠落してはいるものの、本人にはかわりない。

「俺は生前の貴方にもお仕えしていたのです」
 だから、好きになりすぎてしまった。毎日あんなに近くにいたのだから。

「そう」
 素っ気無い返事が返ってきた。ふられたのだろうか、と焔はふっと力なく笑った。
 ――あぁ、自分はなんて卑怯なんだろう。
 記憶のない彼女に想いを伝えたところでどうなると言うのだろう。それも今さらだ。今さら、もう。

 ――・・・今さら、“もう”?

 そこまで考えて、焔は眉間にしわを寄せた。なぜそんな考えに行き着いたのか、自分でもサッパリ理解できない。ただ無意識にそんな思いが浮かび上がってきて――何か別のものが心に引っかかっているような、そんな気持ちになった。
 なぜだろう。魏惟は生き返った。時間は再び動き始めた。大切な人は、目の前にいる。
 それなのに。

「・・・?」
 しゃくぜんとしない胸のうちに、焔はただ呆然とするしかなかった。

*


 いつかのように迷うことなく、私は確かな足取りで魏惟さんの部屋へと向かっていた。薄暗い通路は初めてこの辺りに迷い込んだ日と変わらない。今まで立ち入り禁止区域だったせいもあり、他の人の姿もない。
 ・・・・こんなところに閉じ込められてるのかと思うと、なんだか魏惟さんが不憫に思えてくる。
 彼女が自由に城内を歩き回れるようになる日はまだまだ遠く感じられた。

「えーっと、・・・あぁ、あそこだ」
 同じようなドアがいくつも並ぶ廊下。そこから自分なりに目印をつけて魏惟さんの部屋にたどり着く。
 この向こうに焔がいる。行って来ますって言って何か解決策を見つけて戻ってきた時には、また前みたいに・・・・彼が私の守に戻ってくれればいいのに。
 そんな事を期待しながらドアノブに手をかけようとした、そのときだった。

「俺はずっと――貴方様をお慕い申し上げてきました」

「――・・・え?」

 突然、部屋の中からそんな声が聞こえてきた。
 多少聞こえにくいものの、ハッキリとしたその言葉。真剣な時の焔の声。
 中にいるのは彼と魏惟さん、二人だけなはず。

「・・・っ・・・」
 全てを悟った瞬間、私は身動きがとれなくなった。思わず息を呑む。
 どくん、と大きく心臓がなり、急速に呼吸が苦しくなっていく。
 あぁ・・・・本当はもっと前から気づいていたはずなのに。

“私はね、萌華。貴方の事が嫌いなわけじゃないの。ただ貴方よりも、魏惟が好きなだけ”
“どうか・・・どうか妹を救ってやってくれ”

“魏惟様を・・・・よろしくお願いします”

 みんな魏惟さんの方が好きなんだって、知ってたのに。
 だけどそれでも私は――・・・。

 ぽたりと、大粒の涙がドアノブを掴んだままの腕の上に落ちた。次いで、ぽたぽたと止め処ない涙が溢れ出す。
「ふっ・・・っく・・・」
 嗚咽が漏れそうになるのを必死で抑えながら私はごしごしと涙をぬぐった。その場に泣き崩れたいのをどうにかこらえて元来た道を引き返す。

 馬鹿だ、私。
 見えてないふりなんかしてるから、今さらになってこんなに悲しいんだ。
 みんなが必要だったのは私じゃなくて私の力で。大事にされるのも私が二人といない存在だからで。
 ――勘違いもいいところ。

「・・・萌華?」
 涙を止めることだけを考えて歩いていると、不意に前方から声が聞こえた。不思議そうな顔をした暁が私をじっと見つめていた。
 瞬間、私は彼に手を伸ばす。
「萌華!?」
 ――卑怯なのは分かってる。だけどもうもとの世界に戻れないというのなら、この世界で生きていくために私は確かな居場所を確保するしかもう方法はないから。
 予想以上に逞しい体にぎゅっと力の限り抱きついて、私は震える声で言った。
「結婚のこと真剣に考えるから・・・・もうちょっとだけ待って」
 そして暁に聞こえないように「ごめんなさい」と呟いてから素早く体を離し、その場を立ち去る。
「おい――・・・」
 呼び止められる声は無視するしかなかった。だって今の私の顔、きっと涙でぐちゃぐちゃだから。
 この気持ちが叶わないことを知っていた。だから気付かないふりをしてきたつもりだったのに、それももう無理。
 さっきの言葉で確信してしまった。


 それでも私は、焔に恋してるんだ。    


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