3.報われない奴
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「あー、分っかんねぇコレ・・・・」
 静かだった生徒会室に、ポツリとそんな声が漏れた。
 声の主は副会長、矢野爽也だ。
「何?何か難しいところでも・・・・・」
 そう言って、ストレートの長い黒髪をそのまま下ろしている大人っぽい雰囲気の女子生徒が、爽也が難しい顔で見ている紙を覗き込んだ。
 その、刹那。
「・・・この忙しいときに何してんのアンタはぁぁぁぁぁ!!!」
 顔とは全く正反対のドスの聞いた声で女子生徒が怒声を上げ、力に任せて爽也の頭を殴った。
 鈍い音がして生徒会室に居た全員が小さく息を呑み、そちらに振り向く。
「・・・いっ・・・・!?」
 いきなりの、強い頭部への衝撃。爽也は分けの分からないままとりあえず声をあげた。けれど体は何とも正直で、目にはうっすらと涙が浮かんでいる。
 相当痛い。
 かろうじてそれだけを認識して、爽也は怒りのまなざしで自分を見つめている、いや、睨んでいる女子生徒に言った。
「いきなり何すんだよ狩野!?」
 爽也を殴り、睨んでいるこの少女が狩野 美夜かのう みや。高校3年生で生徒会議長を務める。
「あのねぇ、みんな今必死で自分に割り当てられた仕事してんの!それなのにアンタって奴は・・・」
 わなわなと体を震わせる美夜は、どうやら相当怒っているらしい。
「ちょっと副会長しっかりしてくださいよー」
「僕らこんな頑張ってるのに何してんですか副会長ー!!」
 副会長ー!!という非難の声が次々に上がり、爽也は居心地の悪そうな顔でメンバーの顔を見る。
 みんないくらやっても終わらない仕事を必死でこなしているため、かなりのストレスが溜まっているらしい。
「ふ・・・副会長って言うな・・・!」
「じゃぁ何て呼ぶんだよ!!」
 かろうじてそう抗議したものの、スッパリキッパリ美夜に言われて「うっ」と言葉に詰まる。
 所詮副会長は副にしか過ぎないのである。その現実を突きつけられ、受け入れるのはプライドが酷く傷つく。
 まぁ、今の彼はプライドだの何だの言える立場では無くなっているのも現実なのだけれど。
「・・・で、とりあえず怒ってみたけど副会長何したんですか?」
 と、その時一人の男子生徒が何食わぬ顔でそう問いかけた。
 彼は会計、日下部 充くさかべ みつる。高校2年生だ。
「・・・・」
 しばし全員沈黙。
「・・・あれ?本当だ。矢野先輩何してたの?」
 次に口を開いた女子生徒は書記、天川 聖あまかわ せい。こちらも同じく2年生。
「っていうか美夜さんが持ってるそれ、何?」
 最後に美夜が手にしている紙を指差して言ったのは、彼女の彼氏である坂下 優志さかした ゆうし、高校3年生。すらっとした長身で髪は柔らかい茶色。これは実は地毛だったりする。柔らかい雰囲気の持ち主なので、少々怒りっぽい美夜とはきちんと釣り合いが取れている。
 彼は生徒会メンバーではないものの、毎日のようにここに入り浸り今では雑用なら何でもこなすと言う役に立つ人材だ。
「・・・アンタらねぇ・・・・」
 何も分からずに爽也を責めていた後輩と彼氏に呆れ、美夜は大きく溜息をついた。
「これ見てよ。私らが頑張ってるのに副会長は数学の問題なんかやってたのよ!なぁにが”あー、分っかんねぇコレ”よ!?矢野の馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿!!」
「・・・落ち着こうよ美夜さん?」
「優志ぃー!!!」
 子供のように罵声を飛ばす美夜をあやす優志と、彼に泣き付く美夜。実はわざと見せ付けているのではないかと、生徒会メンバー全員が思ったことは秘密である。
「まぁ・・・そうヒステリックになるなよ。つーかそこまで馬鹿連呼しなくても・・・」
「矢野は黙ってなさいっっ」
「あーあ。副会長怒られたー」
「ウルサイ。お前も副会長副会長言うな、日下部!!」
「っていうか先輩方そろそろお仕事しません・・・?」
 今や仕事そっちのけ状態の生徒会。一応聖が声をかけてみたものの、さすがに2年生なのでそこまで強くも言えず。彼女は困惑し切っておろおろとそれぞれの顔を見回していた。
 けれど丁度その時。
「ただいま戻りましたー」
 正に天使降臨。
 ナイスなタイミングで買い出しから戻ってきたのはこの生徒会のトップに立つ会長、水沢麗だ。
「れっ・・・麗ちゃん・・・!」
 先ず安堵したように言ったのは聖だった。
「え?どうしたの聖ちゃん・・・」
「麗ーお帰りー!!」
 と、急に麗の視界が暗くなる。気づいたときには美夜が麗に覆い被さるように抱きついていた。
 思わずよろけそうになったけれどそれを必死で持ちこたえ、持っていた買い物袋は落とす寸前に優志が受け止めた。
「ナイスキャッチ、坂下先輩」
「ってか狩野先輩、いきなり抱きつくのは危ないですよ」
「細かいことウルサイわねー。それより聞いてよ麗!みんな必死で仕事してたのに副会長ったら一人で数学のプリントと睨めっこしてんのよ!?」
 睨めっこ、と聞いて優志は思わず表情を緩めた。けれど幸いそれに気づく人物は居ないようだった。
「数学?」
 ポカン、として言った麗にご丁寧に至近距離で美夜が説明する。
「これよこれ。良く見たらこれって結構ハイレベルな問題じゃない!こんなの凡人が解けるわけないのに矢野ってば見栄張っちゃって・・・」
「う・・・うるさい狩野!」
 今この話題の中心であるはずの爽也の口数が少ないのはこの際無視して頂いて・・・。
「あー・・・これは確かに難しいですねぇ」
 美夜の持っていた紙を受け取って見ながら麗が言った。
 するとたちまち爽也の顔に優越感の笑みが広がる。
 全くこの副会長は、とことん年下会長をライバル視してしまっているようだ。
「さすがの水沢でも難しいか?だよなー。3年の俺に出来ないのに2年のお前に・・・」
「あ、そっか。こここうするんだ」
「・・・・は?」
 しばしの優越感はあっという間に綺麗さっぱり崩された。
「副会長、ちょっとペン貸してください」
「・・・・あ、あぁ・・・」
 戸惑いつつ、言われるがままにシャーペンを差し出す爽也の姿を見て思わず吹き出しそうになるのをこらえるメンバー達。
「副会長、ここの計算間違ってますよ。それからここはこうやって・・・」
 いきなりの麗からのダメ出しで、今日2度目の撃沈。
「ドンマイ、副会長」
 問題をすべて解き終わり、いつかの台詞と笑顔と共に問題用紙を返されたとき爽也は自分が情けなくて仕方なかった。
「お前どうしてこんな難しい問題・・・・」
 それだけ言うのがやっとだった彼に、にっこりと笑いかけて麗は言った。
「うちの父親、高校で数学の教師してるんですよ。私もたまに教えてもらってますからねー」
「あぁ、だから麗は頭いいんだ」
「さっすが水沢さん。ちゃんと親の血受け継いでるね」
「いえいえ、そんな事ないですよ〜」
 まるで何処ぞの英雄のように褒め称えられる麗を見て、爽也はとてつもないむなしさを感じていた。
 恐るべし、年下会長。
 全ての男子生徒を魅了する笑顔は爽也にだけは適応しない。
 向けられる笑顔は天使の微笑でも、小悪魔的なスマイルでもなく。
 爽也にとってそれは、例えようの無い屈辱の笑みだった。
「じゃぁ皆さん、そろそろ仕事再開しましょうか。あと少しだし頑張りましょうね!」
『はーい』
 今まで騒がしかった生徒会室は、会長の一声で一気に静けさを取り戻した。
「くそぉ・・・!!」
「ホラ、副会長も頑張って。机の上にまだ大量のプリントあるじゃないですか」
「分かってるよ今からやるよ!!」
 生徒会メンバー一報われない人物、矢野爽也18歳。
 彼は今日もやっぱり報われていなかった。
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