第8話 続・ハプニング 1
「うーん・・・・」
「・・・那智、考えるか抱くかどっちかにしてやれ。そろそろ怯えてるぞ、犬」
人がせっかく子犬を抱き上げて考え事をしている時に、疾風は溜息交じりでそんな事を言ってくる。
あー・・・今!今いいの思いついたのに忘れちゃったじゃんかぁ!!
「今大事なとこなんだから、ちょっと黙ってて!!」
「・・・」
大人ぶってコーヒーなんか飲みながら仕事をしている奴にそう言って、私はもう1度うーん、と唸る・・・じゃなくて、考える。
「・・・・あ!」
数秒して、さっき忘れた名前を思い出す。
「ねぇ、この子栗みたいな毛の色してるからさぁ!」
「ブラウンって言えよ」
「・・・。だからね、”マロン”って名前なんかどう!?」
絶対いいよ!といいながら私はマロンと名づけた子犬を抱きしめる。すると胸の中で「キュゥン」と可愛らしい鳴き声した。
ホワホワの文句なしで手触りのいい毛と栗色(疾風が言うにはブラウン)の長い垂れ耳。どうやらこの子は「ダックスフンド」と言う犬種らしい。
あ、でもちょっと小さいからミニチュアか。
「マロンねぇ。ま、覚えやすいしいいんじゃないか?」
「でっしょー?あぁもう本当可愛い!」
そう言ってもう1度マロンを抱きしめる。って言ってもそんなに力は入れてない。
床に下ろしたら下ろしたで、何だかソワソワしつつも尻尾を振ってるから余計可愛い。
「マロン〜」
語尾にハートマークをつけて言いながら、柔らかい毛を弄んでいると隣からくつくつと言う笑い声が聞こえてくる。
「・・・何」
可笑しそうに笑う疾風を横目で睨みつけながら言うと、奴は仕事の手を止めて私たちの居る方へと近づいて・・・・
「・・・ぬぁっ!?」
って、何してんだコイツ!!?
暢気に奴の行動を観察していた私の前まで来た疾風は、何を思ったのかそのままずいっと近すぎるほど接近してくる。
危うく顔が触れ合う寸前で、どうにかこうにか後ろに下がった私だけど。何せその場に座ってるものだから、立っている時のように走って逃げたりは出来ないわけで。
せいぜい体だけ動かすのがこの状況では精一杯みたいなもんなんですよ。
・・・・いや、そんな暢気に言ってられる状況でもない気がする・・・。
「なっ、何!?」
必死で疾風との距離を取ろうとする私だけど、それでも奴はだんだん近づいてくる。
しかも、かなり人をおちょくってるような楽しそうな顔で。
「なぁ那智」
「だから・・・何っ」
もう限界ですよこれ以上逃げられませんよー。っていうか軽く押し倒されたような格好になってるのは何故でしょう?
そう、混乱する頭の中で思っていると。
「俺にもこの犬ころみたいに、できればそれ以上に愛情注いでくれない?」
「・・・・ハイ!?」
「俺今愛情に飢えてんだよなー」
「・・・死ね・・・!!」
コイツは何をこんな至近距離で言い出すんだ!!
いや、それより軽く自分が責められてる気がするんですがっ・・・!
だって、今は記憶がなくてそう言う気持ちとかも全然ないんだけど・・・・。
記憶喪失前に私たちが付き合ってた=私の記憶がないと疾風には愛を注いでくれる人がいない=記憶喪失の私が悪い、って感じで。
あはー。なんだそれー。
ってか「愛を注いでくれる人がいない」ってどんな言い方よ自分。
「那智」
・・・うへ。
なんなんですか貴方。6歳も下の女子高生にそんな大人な声出さないでくださいよ。
・・・つーか、え!?いつの間にか目の前にかなりどアップで顔が!?
「ちょっ、待っ・・・・!!」
まだ記憶も戻ってないのに流れでそうなるのは嫌ぁー!!
と、心の中で絶叫しつつ必死で顔をそむけると。
プルルルルルルル・・・・と、ナイスなタイミングで電話のコールが聞こえてくる。
「あっ、電話!!電話鳴ってるから出ないとー!!」
「そんなのほっとけ。大事な用ならまたいつかかかってくる」
「今じゃなきゃダメな事かもしれないじゃんかぁー!!」
いつもは電話が鳴っても、ここまで意地になってとったりしない私が。
いや、むしろ面倒くさいから出たくなーい、って勢いなこの私が。
この場をどうにかしたいがために必死で何か理由を探す。
すると、上の方から軽く舌打ちが聞こえてきた。
「あ、ホラ。早くしないと電話切れ・・・」
「ちょっと黙っとけ」
・・・・。
何か、話を遮られた上に命令口調って・・・・。
それでもその言葉どおり、だんだん近づいてくる疾風の顔を見ると言葉も何も出なくなって、身動きすら出来ない。
情けないけれど、もうダメだとグッと目をつぶった瞬間。
・・・コツン、と小さな衝撃を額に受ける。
「っ!?」
てっきりキスされるのかと思っていた私にとって、それはかなり不意打ち的行為なわけで。
驚いて目を開けると、目の前にはニッと意地悪く笑う疾風の目があった。
額同士がくっついた状態のまま、奴は言う。
「早く記憶取り戻せよ」
・・・・・・・・・・・やられた。
まんまと罠に引っかかりましたよえぇ。一人馬鹿みたいに緊張してましたよ・・・!!
何事もなかったかのように上体を起こして仕事を再開する疾風を睨みつつ、悔しさと情けなさのあまり唇を噛む。
「ま・・・紛らわしい事すんなよ疾風の馬鹿ぁー!!!」
その場に居る事が出来ず、捨て台詞の如くそう叫んでから今も尚鳴り続けている電話へとダッシュする私。
それから、息を切らせたまま勢い良く受話器をとる。
「もしもしっ!!」
『あー、もしもし、海道ですけど・・・・麻生か?何でそんな力んでんの?』
「・・・海道?」
思っても見なかった相手に、急に力が抜けるような感じがした。
「ってか、何の用?何でウチの電話番号知ってんの?」
『・・・お前、もうちょっとましな言葉ないのかよ・・・。いきなりそれは悲しいぞっ!」
海道は言いながら、大げさに溜息をつく。
「・・・。で、用件は?」
サラッとそれを流した私は、話を本題へと持っていく。すると「あ、そうだった」と向こうの声は元のトーンに戻る。
『実はさ、今度の土曜に俺らサッカー部の練習試合があるんだけど・・・麻生、見に来ないか?』
「・・・へ?」
何故私がそんなところに?
・・・・・・ってか「サッカー部」なんか引っかかる部分が・・・・。
うーん、と無言で考える事数秒。
「・・・っ、ちょっと待った!!サッカー部って事は勿論マネージャーも居るんだよねぇ・・・?」
思い出した瞬間、嫌〜な寒気がした。
『萩原の事か?当然じゃん。あ、あとさ・・・・俺麻生に話したい事もあるんだよね。だから絶対来いよ!そんじゃ!』
「ちょ、待て海道!!そんな勝手に言われても――・・・・っ」
何故かもう私が行くことを前提に話す海道を必死で止めてみたが、全部言い終わらないうちに一方的に電話を切られる。
・・・あの馬鹿、今度会ったら絶対しめる・・・・・。
つーかね!!私はアンタのせいでかな〜り迷惑してるわけよ、分かってる!?何で私があんたの事好きだって勘違いされなきゃいけないの!挙句の果てには文月ちゃんに協力する羽目になったじゃん!
別に協力するのは嫌じゃないんだけど、あの子のどす黒いオーラ本っっ当に怖いんだよぉぉ!!
「海道の馬鹿っっっ」
最近人に対して罵声を飛ばしすぎだと思いつつも、こうでも言わないと気が収まらない私は受話器に向かってそう叫ぶ。
そして当てつけの様に勢い良く受話器を戻し、振り返った瞬間――
「あのクソ餓鬼、何のようだって?」
顔だけはにっこりと笑いながらも、目が笑っていないもう一人のどす黒いオーラを持つ人物、疾風がそこに立っていた。
奴の腕に抱かれていたマロンが、不安そうに鼻を鳴らしていた。