第8話 続・ハプニング 4
 痛い。
 痛い痛い痛い痛い。
 とてつもない痛みが全身に広がって、私は思わずうめいた。
 どうやら漫画や小説に出てくるような、ピンチのときに助けてくれる頼もしい王子様は私には居なかったらしい。
 だんだんとはっきりしていく意識の中で自分が階段からまともに落ちた事を知りながら、今どうなっているのか分からない私は試しに手を動かしてみようとした。
 ・・・・・・痛かった。
「那智っ」
 軽くうめくと、上の方から聞きなれた声が降ってくる。
 あー・・・・・これは疾風の声だ。
 ・・・・・・・・・・・・・・。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ん?
 何で・・・・・・・疾風?
「うぇ・・・?」
 今聞こえないはずの声に驚いて、私は恐る恐る目を開けてみる。まず最初に入ってきたのは電気の光で、眩しくて思わず目を細める。
「先輩っ・・・」
 次に聞こえてきたのは悲鳴のような高い声。ゆっくりと声のした方に顔を向けてみる。・・・首が痛い。
「風月・・・・・ちゃん?」
 目に入ってきたのは、今にも泣き出しそうな彼女の姿。
「那智、大丈夫か!?」
 と、反対方向からまたもや疾風の声がかかる。
 そうそう、何で今ここにコイツがいるんだ。っていうかここは何処よ?
 首の痛みを我慢しつつ、私はまた反対方向を向く。
 そこには正真正銘、疾風の姿。しかもかなり心配そうな表情。
「疾風ぇー・・・・?」
 もう何が何だか・・・・・?
「ここ・・・・・何処?」
「病院だよ。お前が学校の階段から落ちたっつー報せがあって急いで来てみれば・・・・」
 語尾の言葉を濁しながら、疾風がギュッと私の手を握る。今まで体の痛みで気づかなかったけど、多分もうずっとこうしてくれていたんだと思う。
 そう言えば何だかずっと手が温かかったような気がするなぁ。
「ごめん・・・」
「いや・・・大丈夫ならそれでいい」
 安心したように大きく息を吐いて疾風はそう言った。それからもう1度私の手を握り締める。
 心配・・・・かけたよね。かなり。病院に運ばれたって事は意識もなかったわけだし。
 そんなことをぼーっと考えていると、
「随分仲良くなったみたいだね」
 今度は別の男の人の声が聞こえてきて、面倒くさいなぁなんて思いながら首を動かそうとすると。
「あぁ、そのままでいいよ」
 どうやら相手は私の事を気遣ってくれたらしく、そう言って私の顔を覗き込んだ。
「・・・・・・あ」
 瞬間、私は思わず声を上げる。
 だってこの人、私が1番初めに会った病院の先生じゃん。
「お久しぶり、麻生さん」
「お・・・・・お久しぶりです」
 ・・・いや待て。今こんなこと話してる場合じゃないだろう。
「あの、私――」
「あぁ、大丈夫。幸い骨は折れてないし打撲程度で済んでるから」
「はぁ・・・・・」
 もしかして私は意外と頑丈に出来てるのかもしれない。っていうか図太い?
 あそこから落ちて打撲程度って・・・!
 なんか・・・・・・
 なんかすっごいミラクル!?
 ・・・・と、そんなことを考えていると。
「麻生!!」
 騒がしい足音と共に、突如病室に飛び込んできた声。
 全員が私よりも早くそちらに目をやって、疾風の顔が一瞬物凄く不機嫌そうなものになる。
 もしかしたら・・・・ううん、こいつの反応からしてもしかしなくても。
「洋介・・・・・・?」
 ゆっくりとドアの方に目を向けるとオレンジの物体が目に入って、思わず私は声を上げる。
 でも「思わず」のその言葉が、周りに居た人たち――何より自分を、物凄く驚かせた。
「あ・・・あの、俺麻生が病院運ばれたって萩原から連絡貰って急いで来て・・・丁度シャワー浴びた後だったから髪もまだ乾いてないんだけど――・・・」
 相当気が動転しているらしく、しどろもどろになりながら奴はそう言って、
「あの・・・・・・・もしかして麻生、今”洋介”って・・・・・!?」
 小走りでこちらに駆け寄ってきた。
「那智、お前・・・・・・・」
 呆然と呟く疾風に、私自身もわけが分からずとりあえず笑って誤魔化してみる。
 いや、誤魔化してる場合じゃないんだけど。
 ――”洋介”。それは、記憶喪失前の私が呼んでた海道の名前。
 そして咄嗟にその言葉が出た瞬間・・・・・・今まで忘れられていた色んな思い出が、溢れてくる。
「疾風、悪いけどちょっと起こしてくれない?」
「あ?あぁ・・・」
 全身が痛むせいで一人では起き上がる事が出来ず、疾風に助けを借りてゆっくりと上体を起こす。それから改めて驚愕のあまり目を丸くしているその人物を見て、確信。
 私の記憶、復活。
「久しぶり、洋介」
 にっこりと笑いながらそう言うと、目の前の人物の顔がぐにゃりと歪み。
「あ・・・麻生ー!!」
「抱きつこうとしてんじゃねぇよクソ餓鬼!!」
 腕を広げて寄ってきた洋介だったけれどすかさず疾風がそれを阻止する。
 それでも洋介は目に涙を浮かべながら何か言葉にならないことを言っている。
 あぁ・・・そうだ。思い出してみれば私1年の頃からずっとこいつと一緒に居たんだっけ・・・・。
「もしかして麻生さん・・・記憶戻った?」
「みたいです」
 それから苦笑いを浮かべる先生に私は普通に答えて。
 でもその直後に、
「じゃぁ那智、俺の事は・・・・・・」
 不安そうに尋ねた疾風に思わず言葉を詰まらせた。
 あ・・・あれ・・・・・・?おかしいな・・・。
 何だか分かんないけど洋介の時みたいに記憶が出てこない。
 一生懸命思い出そうとしても、どれだけ考えても出てくる1番古いものは最初に病院で見たときの疾風の記憶。
 もしかして私・・・・・・・・疾風の記憶だけ、戻ってないの?
「私・・・・・」
 期待するような、思い出してくれとすがるような目で見られて私は口ごもった。
 じんわりと涙が浮かんでくるのがわかる。
 1番近くに居たはずなのに、こいつの事は何1つ思い出せない。
 がっかりさせたくない。悲しませたくない。でも――
「ごめん・・・・・」
 言った瞬間、思わず涙が落ちた。
 俯くと目に溜まった涙が予想以上に落ちてきてもう顔を上げる事が出来なくなる。
「・・・・・・分かった・・・それ以上もういいから」
 落胆したような響きのある声で疾風は言って、なだめるように俯いた私の頭をポンポンと撫でる。
 でもそれは余計に私の涙をそそるものであって、目の前はぐちゃぐちゃになる。
 ごめん疾風。私自分が情けないよ。
「ごめんなさい・・・先輩が階段から落ちたの、私のせいなんです!私が突き落としたからっ・・・」
「萩原が!?」
 ・・・・・・あれ。
 何か話がややこしい事になってる。
 自分が泣いている間に頭上からは別の泣き声が聞こえてきて、しかも風月ちゃんは誤解を生むような事を言い出した。
 あぁもう・・・・・面倒くさい。
「・・・・・突き落としたんじゃないよ。ちょっとぶつかっただけだから気にしないで」
 私は涙を拭うと、自分以上に激しく泣き出した風月ちゃんをなだめる。
「先輩・・・っ!」
「えーと、それから洋介。悪いけど私前も馬鹿は嫌いだっつったでしょ?人が記憶喪失だと思ってちゃっかり告っちゃってるけど」
「は、はい・・・・。・・・・・・・って、返事がそれか!?」
「何、文句ある?」
「や・・・ない・・・です」
 誤解を解こうと口を開くと先ほどまでの重苦しい雰囲気は何処かへと消えて。
 私はベッドの上で踏ん反りがえってそんなことを言っていた。
 しかも私の言葉にぴくりと反応した疾風まで、さっきのあのしおらしさはまるでなくなり。
「おい、お前那智になんかしたのか?」
「・・・せ、正々堂々告白しただけっすよ!俺だって麻生の事前から好きだったんですから!!」
「ほぉ?でも男は諦めが肝心だ。これで潔くこいつの事は忘れろ」
 フンっと鼻を鳴らして腕を組む。何か物凄く大人気ない。
 洋介は悔しそうに顔をゆがめているけれど、それ以上言い返すことが出来ずに居るみたいだった。
「えーっと・・・・ちょっといいかな?」
 と、そこへ見かねた先生が割ってはいる。
「悪いけど麻生さんの状態をもう少しちゃんと調べたいから全員部屋から出て行ってくれないかな?」
「あぁ・・・・・はい。分かりました」
 先生の言葉に渋々と言った様子で疾風は答えて、それからみんな病室から出て行く。
 出て行くのは良いけれど・・・・・・
「麻生さんってモテるんだね」
「いえ・・・」
 あの、先生。
 私こんなことしてる場合じゃないんじゃないですか・・・・・!?
 そうだよ!思わずその場の雰囲気に乗っちゃったけど、いや、もしかしたら自分が最初に言い出したのかもだけど!!
 あの重苦しい空気はどこへ・・・・・・・・・!?一瞬で消えたよ!?
 私疾風のことだけ思い出せてないのに、こんな事してる場合じゃないでしょ!?
「せ、先生・・・・」
 すがるように目で訴えると、先生の目が柔らかくなった。
「心配しなくても大丈夫」
 そうして近くにあった椅子に腰掛けて。
「人間って本当に怖いものなんかは心の奥底に封じ込めてしまうものなんだよ。自分の身を守るためにね」
 ・・・怖いもの?私は疾風が怖いわけではないと思うのですが・・・・・?
「麻生さんはきっと、山本さんとの間に思い出したくないよほどの事があったんだろうね」
 思い出したくないもの・・・・・・?
 あぁ・・・そう言うこと。
 でも私、疾風との間に何があったんだろう。それは体が思い出す事を拒むほど凄いものなのかなぁ・・・?
「大丈夫。焦らなくてもいつかきっと思い出せるときが来るから、ゆっくりでいいんだよ」
 思わず考え込んだ私に、先生は優しくそう声をかけてくれた。
「とりあえず今は他の記憶が戻った事を喜ぼう」
「はい・・・・」
 上手く丸め込まれた気がした。
 でもまぁ・・・・・先生の言うとおりかもしれない。
 それなりの苦労はしたけど(体痛いし)、記憶が少しでも戻っただけで凄い進歩なんだよね。
 ・・・・・・うん。めげない。

 私これから頑張ってあんたの記憶も思い出してみせるよ、疾風。
 

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